【3分で読める世界史】ムガル帝国の衰退
宗教融和政策を否定し、弾圧を繰り返したアウラングゼーブ帝。
この記事を読めば、ムガル帝国衰退の様子がわかります。
①非イスラームの反乱
アウラングゼーブ帝の人頭税(ジズヤ)復活や弾圧に、当然非イスラームは大反発。
17世紀後半、ヒンドゥー教徒のシヴァージーが、インド中央部のデカン高原にマラーター王国を建国し抵抗。
またインド北西部ではシク教徒が反乱を起こしました。
②帝国内部の揺らぎ
一方で国内統治にも、ひずみが生じてきます。
ムガル帝国ではこのころ、ザミンダールと呼ばれる領主層が台頭。
地方の徴税権を握り、国の財政基盤を揺るがしました。
③アウラングゼーブ帝の死
そんななか、アウラングゼーブ帝が死去すると、ムガル帝国の混乱は加速します。
マラータ王国はヒンドゥー教の諸侯を束ね、マラータ同盟に発展。北インド一帯を支配する一大勢力となります。
また反乱を起こしていたシク教徒により、北西部にはシク教国が誕生。
さらにムガル帝国の支配が及んでいなかった南インドでは、ヒンドゥー教のマイソール王国が力を増し、南から圧迫してくるようになりました。
これらにより、ムガル帝国の領土は大幅に縮小。衰退の道を歩むようになりました。
終わりに
いかがだったでしょうか。今回は宗教融和政策の否定を原因に、ムガル帝国が衰退していく過程をお話させていただきました。
次回で、「イスラーム世界の繫栄」編もおしまい。インド=イスラーム文化と貿易をお届けします。お楽しみに!
参考文献
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