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【3分で読める世界史】ムガル帝国の成立

インドに現れたイスラームの大国、ムガル帝国。これはその誕生の物語です。

この記事を読めば、ムガル帝国成立の過程が分かります。


①ムガル帝国の成立

インドの花

トルコ系のウズベク族に滅ぼされてしまったティムール朝(「ティムール朝の滅亡」参照)。

その指導者でティムールの子孫だったバーブルは敵から逃れ、サマルカンド奪還を狙っていました。

しかしウズベク族は強く、方向転換し、混乱が続いていたインドに目をつけます。

そしてパーニーパットの戦いでロディ―朝を破り、デリーを占領。

ここを首都にムガル帝国を建国しました。


②ムガル帝国の意味

モンケ即位

バーブルが建てたムガル帝国の「ムガル」は「モンゴル」という意味です。

ティムールを父方に持ち、母親もチンギス=ハンの子孫であったバーブルは、両方からモンゴル帝国の血を引いていました。

そのため、バーブルは称号もスルタンを用いず、皇帝を名乗りました。


③フマーユーンの時代

フマーユーン

バーブルの死後、後を継いだのが第2代皇帝フマーユーンです。

しかしフマーユーンはアフガン系のスール族に首都デリーを占領され、サファヴィー朝への亡命を余儀なくされました。

そして不遇の時代を越えて、サファヴィー朝の支援のもと、スール朝からデリーを取り返し、ムガル帝国を復活させます。


終わりに

まとめ

いかがだったでしょうか。今回は「イスラーム世界の繫栄」四つ目の帝国である、ムガル帝国の成り立ちについてお届けしました。

次回は、第3代皇帝アクバルのお話です。お楽しみに!



参考文献




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