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【3分で読める世界史】ムガル帝国の変容

偉大と称えられたアクバル帝の死後、第4代ジャハーンギール、第5代シャー=ジャハーンは、アクバルの統治方法を変えず、国は安定しました。

しかし、第6代アウラングゼーブによりムガル帝国は大きく変容していくことになります。

この記事を読めば、ムガル帝国の変化の様子が分かります。


①シャー=ジャハーンの治世

タージマハル2

前述のとおり、5代皇帝シャー=ジャハーンはアクバル帝の統治を引き継ぎ、国内は安定した状態を維持していました。

一方、対外的には、南に少しづつ領土を広げていきます。

そして彼を有名にしたのが、若くして亡くなった最愛の妻ムムターズ=マハルを悼みアグラに建設した壮大なお墓「タージ=マハル」でした。

以降、シャー=ジャハーンは毎日タージ=マハルを見つめていた言われています。


②第6代皇帝アウラングゼーブ

インド半島

しかしシャー=ジャハーンは、息子のアウラングゼーブにより城に幽閉され、強引に皇帝位を奪われてしまいます。

そして第6代皇帝となったアウラングゼーブは、対外的にも強気路線に。半島の南端をのぞくインドのほとんどを統一します。

これはムガル帝国の最大領域となりました。


③宗教融和政策の否定

コーラン

アウラングゼーブは統治の面でも、アクバル帝以来の方針を大きく変えました。

敬虔なスンナ派イスラーム教徒だった彼は、宗教融和政策を嫌い、ヒンドゥー教徒の人頭税(ジズヤ)を復活させ、弾圧を行います。

そして弾圧の対象はヒンドゥー教徒にとどまらず、イスラームのシーア派や、ほかの非イスラーム宗教へも及んでいったのです。


終わりに

まとめ

いかがだったでしょうか。今回はアウラングゼーブ帝による、ムガル帝国の変化をお届けしました。

次回は、ムガル帝国の衰退についてお話させていただきます。お楽しみに!


参考文献


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コナン@世界史のせんせい
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