【3分で読める世界史】オスマン帝国の統治と文化
オスマン帝国は、絶対的君主であるスルタンであってもイスラーム法に反する命令を下すことはできない、完成されたイスラーム帝国でした。
この記事を読めば、そんなオスマン帝国の統治の仕方と文化が学べます。
①中心部の統治
オスマン帝国は、まず小アジア(アナトリア)やバルカン半島などの中心部を州・県・郡に分けました。
そしてマドラサで教育を施されたウラマーを派遣し、イスラーム法(シャリーア)と行政法(カーヌーン)に基づいた統治をおこないました。
またウラマーだけでなく軍政官も派遣され、トルコ系騎士を束ねる軍人が、その任につきました。
そして軍人は軍事奉仕の代わりに、派遣先の土地の徴税権が与えられ、これをティマール制(軍事封土制)と言いました。(イクター制の流れから来てます)
②地方の統治
他方、エジプトやイラクなどの新たに占領した土地は、その場所の旧支配者層にそのまま統治を任せました。
代わりに貢納金や軍役を課す形で、これにより旧来の統治を変えない方法をとることで、征服地の反発を抑えます。
③オスマン帝国の文化
最後に文化について触れておきます。代表的な建築物に、まずハギアソフィア大聖堂の改修が挙げられます。
これはコンンスタンティノープル占領の際、もとからあったキリスト教の大聖堂に、礼拝の時を知らせる4本のミナレットを建て、イスラームのモスクに改造したものです。
ほかにもスレイマン1世が命じて作らせたスレイマンモスクや、ブルーモスクが有名です。
また建築以外では、トルコ語を基調として天文学や数学などの学問が発展。
またミニアチュール(細密画)も盛んに作られました。
終わりに
いかがだったでしょうか。今回はオスマン帝国の統治法と文化についてお届けしました。
次回で、いよいよオスマン帝国もいったんお終い。チューリップ時代のオスマン帝国です。お楽しみに!
参考文献
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