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最高のコーチは、教えない(吉井理人)

プレイヤー一筋からのコーチ業への転換

 WBCの侍JAPAN優勝、阪神タイガースの38年ぶり日本一、大谷翔平選手のメジャーリーグホームラン王。2023年は野球というスポーツの熱狂に包まれた一年だった。

 日本人は野球が大好きだなと思う。

シーズン中は平日でも3万人以上のファンが各球団のスタジアムに駆け付ける。応援団に合わせてファンは飛び跳ねたり手を振り上げたり肩を組んだり、ライトスタンド・レフトスタンドからは応援歌が鳴りやまない。フードも充実していて球場メシを食べながら、屋外の球場では夏には花火があがり、ナイターでは暗くなった夜空に映えるスポットライトのように球場が照らされる。

まさにオンステージ、一つの舞台やミュージカルでも見ているかのような生の臨場感である。一度機会があれば野球の試合を見に行ってほしいが、ライブ感と熱狂…病みつきになる。

 本書の著者である吉井理人さん。2023年現在、千葉ロッテマリーンズの現監督であるが、その前は日本ハムファイターズ、ソフトバンクホークス、そして千葉ロッテマリーンズで長いことピッチングコーチを担当されていた。

2019年に佐々木朗希投手が千葉ロッテマリーンズに入団してからはその教育方針と育成計画の全責任を負い、5か年計画として日本球界の宝と言われている佐々木投手の育成を任されている。吉井さんは投手全体の投球ローテーションも完璧に管理しており、選手の自主性を重んじた選手ファーストな練習計画を組んでいるという記事を読んだことがある。

 そんな吉井さんは現役当時、42歳で戦力外通告を受けるもプレーヤーからの引退を拒否し、海外チームにまで活躍の場を求めて探し回ったという。

名コーチと呼ばれて現在では監督まで務められている方が、当時はプレーヤーに固執していたということに驚いた。一線で活躍してきた選手だからこそ、『ピッチャーであることが自分のアイデンティティで、プレーすることこそが野球だ』と感じていたのではないかなと思う。

それが、プレーヤー一筋だと考えていた人がなぜマネジメント・後世育成へ気持ちを切り替えられたのだろうか。

「コーチ」という仕事に、何かプレイヤーをも超えるやりがいや魅力があるのではないか。

私はそこに興味が湧き、吉井さんのコーチ業(現在では監督業)についていろいろと追いかけて調べている。(ほかのコーチや監督についても調べてみたいと思っています)
 


コーチングとは人間の本質を知ること

 本屋さんに行くと本書はビジネス本のコーナーに陳列されていることが多い。

確かに、コーチングの手法を学ぶ本としてもPM理論などが掲載されていて、私も参考にさせて頂いている。そこはもちろん、本書の面白いポイントは吉井さんがコーチングで体験した選手とのエピソードである。

本書を読むとお分かりだろうが、野球選手は非常にクセが強くてプライドが高い。言うことを聞かなかったり、自分の欠点を直接指摘されることを嫌がったり、一軍に上がれない言い訳作りにわざと練習をしなかったり。人間臭くてリアルな話がたくさん載っているので、経験談として見ている分には人間って面白いなと感じる。

クセが強いだけではない。ピッチングがうまくいかなくてぐったり落ち込んでしまったり、二軍落ちになって泣き出してしまったりと、コーチはメンタルケア的にも相当繊細に選手を扱わなくてはいけないらしい。まあなんと困った・・と思ってしまった。正直面倒くさいことがたくさんありそうだ。

コミュニケーションは、意見の違う相手と対峙しなければならない我慢・辛抱の連続である。コーチングは、コーチ側の人間力というか包容力のようなものが試されるなと思う。

コーチの仕事はほとんどがコミュニケーションである。強いストレスにさらされるコミュニケーションに耐えられなければ、仕事が全うできない。(P.172)                  

そんな良くも悪くもクセの強い選手たちに対してどのようにアプローチしていくのだろうか。

「クセが強い」の中にも様々なタイプがいる。吉井さんは選手一人一人が何を言うと喜んで練習してくれて、何を言うと嫌がって練習しなくなって、何を言うと迷って余計なことをしてしまうのかということを非常に良く考えて発言されている。

つまり、自分が次に口にする発言が相手に影響の大きさを常に予想している。期待しすぎてプレッシャーを与えてもだめ、気軽に発言して相手を翻弄するのもだめという難しいさじ加減である。人を動かすには人間を知るということが必要である。

吉井さん自身もプレイヤー当時の経験として、当時の近鉄バファローズ仰木監督から動かされた経験があるようだった。

仰木さんには、かなり叱られた。あとで聞いたところによれば、仰木さんは僕は頭に血が上っている状態でマウンドに上がった方が高いパフォーマンスが出るのを知っていた。だからわざと叱りつけ、僕に反発させてマウンドに上げた。僕はまったく気づいていない。登板前によくわからない理由で叱られ、腹を立てて投げまくるの繰り返しだった。(P.131)

これは少し極端な例だが、仰木監督は吉井さんの性格をよく理解していたのだと思う。

「一生懸命投げようよ」とストレートに言っても「もうやってるわ」などと捻くれてしまうところが人間の天邪鬼な部分である。吉井さんもこのエピソードを覚えているということは、仰木監督の思惑通りなぜかわからないけど高いパフォーマンスが発揮できていたのであろう。本人に意図を気付かせずにこちらの意図する方向へ導く。骨の折れる作業である。

このような経験があると「人を動かす」ことがいかに難しいか実感しやすいのかもしれない。何を隠そう、自分こそが動かなかった張本人なのだから。

動かなかった人が自分の話を聞いてくれて動くようになる。コーチングはそれで終わりではない。

恐ろしいのはここからだ。向上心があったり上手くなりたいと素直に思っている選手ほどコーチがつぶしてしまうことが簡単だということだ。吉井さんもコーチとしてかけた声によって選手をつぶしてしまった苦しい失敗があるようだった。

「あのな、おまえにこのアドバイスは向いてへんから、もうやめよう。明日から元に戻そうか」

だが、元に戻そうとしても戻らない。ピッチングのときの力加減が分からなくなってしまったのだ。それからは結果が出せず、シーズンが終わるとトレードに出された。移籍先でも一年で解雇され、彼のプロ野球選手としての人生は終わった。(p.39)

コーチの失敗は自分の失敗だけ済むものではない。教えている相手の人生に影響を及ぼしてしまうかもしれない。とても恐ろしい。

これはプロアスリートの世界のみならず、忘れがちだがコーチングをする立場にある者全員が自覚せねばらなないだろう。素直な人ほど上司や上の人の言うことを聞き続けてしまい、次第に自分の感覚や個性というものが失われてしまう。その後に「お前の企画を出してみろ」と言われてもクリエイティブな企画が出せるわけがない。

コーチングは、部下や後輩の人生を背負っているのだという責任を持たなければならないのである。


  • 吉井さんのコーチングに対する考えが良くわかる動画なのでぜひ見て頂きたい。


コーチの最大のやりがい、それはコーチの”マジック”次第で選手が変わること

 プロスポーツチームの監督が”人を心を動かす力”、特に野球球団の監督はそれが強調されることが多く、時として”マジック”と呼ばれる。

元オリックスバファローズの中嶋聡監督の戦法は”ナカジマジック”と呼ばれ、選手のその日のコンディションやバッティングの調子に合わせて、先発オーダーが141通りもあったというのだから驚きである。

吉井さんの人心掌握や選手の起用方法も”吉井マジック”と度々言われている。

吉井さんは筑波大学大学院にてコーチング術も学ばれており、理論を頭に入れたうえでコーチングを実践されているので、それもそのはずである。

”マジック”というと「何か大きな転換点がありました」とか「あの人の言葉で人生変わりました」などの大きな出来事を想像しがちだが、本書を読んで感じることは「日々の小さな気づきを与えること」の積み重ねだということだ。

野球選手だって明日いきなり欠点がなくなって野球がうまくなるわけではない。泥臭い日々の鍛錬によってあのスーパープレーは生み出されており、そこまで伴走するコーチもまた選手の泥臭い日々に付き合う。気の遠くなるような繰り返しの中で、人は思いもよらないレベルまで脱皮できるのだろうと思う。

今日をチャンスに変える。
千葉ロッテマリーンズの2023年スローガンである。吉井さんの想いが込められていたスローガンだった。チャンスも同様に、日々の小さな可能性を”チャンス”と捉えて掴んでいくことで、気付いたときには以前の自分と全く異なる自分に成長することができる。

実際、コーチにできることなんかこんな小さなアドバイスで、その積み重ねでしかない。(P.269)

コーチという職業は、そのような場所に選手を導くことができる。

選手生命を一緒に担ぐその責任の大きさと、選手の得られる満足感とコーチの力を過信してはいけないし、されどコーチの”マジック”によって人は明らかに変わっていく。これが吉井さんが感じている最大のやりがいなのだと思う。自分自身がプレイヤーしか経験しなかった人生に比べると、想像しなかった奥の深い世界が広がっていたのだと思う。

選手の成長に立ち会う中で感じる満足感、選手の役に立った安心感、好成績を収めた選手と自分が重なった達成感など、コーチングで伴走しているからこそ享受できる感情は大きいのだろうと感じる。

そのために、コーチは面倒くさくて、ストレスフルで、恐ろしいコミュニケーションに日々注力していくのだ。



■世界樹
世界樹|出会った一冊の本から「人」と「人生」をじっくり考える本紹介・考察サイト


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