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介護の終わりに;義母と

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介護の終わりに(22)

「介護」という単語を聴いて、最初に思いつくのはおそらく「下の世話」だろうと思う。

とはいえ、いろいろあるのだ。ほんとうにいろいろと。人の認知のバラエティに驚かされる。

義母は、確かにトイレの失敗もしていた。それは、私もきつかったし、夫もかなりこたえていたと思う。

しかし、義母はトイレの失敗は少なかったと思う。毎回毎日起こらなかった。

もっと言うと、私が忘れているのかもしれない。

義母は、

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介護の終わりに(20)

しかし、夫の思い通りになることはなかった。義母が、抵抗していたからだ。

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介護の終わりに(19)

あの夜以降は、義母の介護をしていた、と言ってもあまりよく覚えてはいない。

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介護の終わりに(17)

断っておく。義母は、穏やかな人だった。彼女の名誉のために、そして私の実感を込めて、それはきっちりと書いておく。

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介護の終わりに(16)

義母に対して、私が私自身の感情を整理しきれなかった。以前に書いた父の影響が大きくて、「病気の人間は不要」「病気は自己責任」という観念が大きすぎたのだ。

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介護の終わりに(15)

毎日、「どちらさまでしたっけか?」と尋ねられる経験は、そうそうあるものではない。楽しいとか苦しいではない。面倒くさい。しかし、これを毎日真面目に返答するとどうなるのか、興味があった。

記録していないから正確ではないが、おおよそ3,4か月続いた。

二つ以上の可能性があるが、その頃の私が思ったのは、
(1)私自身の名前を知らなくても、別にいいや、と義母が思うようになった。私の名前を知らなくてもどう

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介護の終わりに(14)

小学校から帰宅した私の息子。小学校1年生か、2年生か。そのくらいの年齢だった。暑くなり始めた季節だった。彼は半そでのTシャツで、息せきって帰ってきた。「ただいま」。

義母はその息子を見て、「あっ、〇〇ちゃん!(夫の愛称)」と呼んだ。

そうか。確かに。義母にとって、彼女のある一定の時期、とくに夫を育てていた時期、それが今よみがえっているのだ。そこには当然、今の夫はいない。同じ名前であっても、そん

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介護の終わりに(13)

私は、義母につらくあたっていた。義母は、そのような対応をされたことがなかったのだろう。どうしていいのか、わからなかっただろう。
ごめんなさい、といいたいけど、いえない。

「ミステリという勿れ」(田村由美)を読んだ。
https://honto.jp/ebook/pd_28896090.html

一巻で主人公の久能くんが、後悔について語っていた。それを読んで、私は自分は後悔したい人なんだなと実感

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介護の終わりに(12)

義母とは、仲良くできなかった。

父との関係もあったし、職業(医療関係者)を鼻にかけていた。だからだろうか。何事よらず物事をうまくできない人を嘲ることを身に着けてしまっていた。

義母はそういう私の被害にあっていた。

そんな人と、たとえ認知症だったにしても、仲良くできそうにはないだろう。だれだって。認知症だから、言葉でのやり取りが難しいときが多いからこそ、できないだろう。そういうことだ。

義母

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介護の終わりに(11)

義母は、出会った時からサバイバーだった。彼女は、3回の脳梗塞の発作を体験していた。

その介護をしていた私の夫は、介護を受けるための手続きを知っていたが、再現して私に伝えるには、疲労し切っていた。

義母は初めて出会ったとき、70歳代後半。戦争も体験したし、結婚も離婚も妊娠も出産も…。あらゆる体験を経た、サバイバーだった。
そして彼女は、最後の体験の最中だった。でもその体験を私に伝えることはできな

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