中国における血縁と地縁_費孝通の「郷土中国」を例に
どうも!
セイタです!!
北京大学修士課程にて社会学を学んでいます。
この記事では、中国社会学の先駆者である費孝通の「郷土中国」に見える20世紀中盤の中国社会における「血縁」と「地縁」についての考え方を紹介させていただきます。
また、この記事及びマガジンでは華僑・華人に関して執筆していきます。
記事の内容としては非常にライトな体験談のようなものから実際に華人へのインタビューや本や論文などをまとめたものといったヘビーなものを想定しています。
※「華人」とは中国に出自を持つ移民で居住国の国籍を取得している人です。国籍を取得していない場合は「華僑」となります。
『郷土中国』概略
説明に入る前に著者と本の紹介をさせていただきます。
なお、自分が読んだのは
北京大学出版社が2012年に出版した以下のものになります。
※26元(約520円)です。
この版は各章の初めに名言が書かれており、非常に助かります。さすが北京大学出版会です(笑)
余談ですが、中国は大学の出版社が日本よりも発展している印象です。日本だと専門性が高い本くらいしか売れてませんが、中国だと幅広く売られています。
費孝通とは?
費孝通は中国でものすごく有名な学者です。
中国人類学及び社会学の祖と評されています。
生まれは1910年11月2日で、2005年4月24日まで生きてます。
学部は医学部で入学したのですが、専門を変えています。修士は清華大学の社会人類学専攻で学びました。博士はロンドンスクールオブエコノミクスで哲学を学んでいます。この辺のキャリアは魯迅を彷彿とさせます。
※魯迅は東北大学医学部に留学していますが、帰国後は中国人の思想を変えるために筆を執り、小説を書いています。
『郷土中国』を読むまで知らなかったのですが、費孝通は
・最初の奥さんをフィールドワークの時に無くしていたり、
・抗日戦争時に雲南にいたり、
・インフレによる生活苦を味わったり
とかなり苦労人なようです。
北京大学に残した影響も大きく、北京大学社会学棟の中に銅像が飾られています。
また、北京大学社会学博士の先輩は北京大学の社会学部の特徴について以下のように述べていました。
以上のように、費孝通は北京大学はもちろんのこと、中国の学術界に非常に大きな影響を与えた学者だったといえます。
『郷土中国』とは?
『郷土中国』は1948年に出版された費孝通の代表作の一つです。
半世紀以上前に出版された本なので、現代の中国社会をどの程度表せているかには疑問が残ります。
例えば、「人口問題」という授業である学生が
「現在の中国は人口が都市に流動しており、『郷土社会』から『都市社会』へと移行しつつある」と言っていました。費孝通が主張していた中国社会の持つ郷土性は徐々に解体されているともいえます。がとはいえ、中国の歴史や文化を知るうえで大きな助けになってくれると思います。
この本は農村コミュニティ、文化の伝播、家族制度、道徳観念、権力構造、社会規範、社会変遷などの幅広い視野から中国の郷土社会の構造と特徴について述べられています。使われている中国語や概念も非常に平易で読みやすい一冊です。
「『郷土中国』が読みやすかった」っということを北京大学社会学修士課程の同級生に話したところ、「その時代の中国人の社会学者の文章は全部読みやすいよ」と言っていました。
『郷土中国』が読みやすい理由は、この本が一般大衆に向けて書かれているからです。というのも、この本を執筆した当時の大学の先生は給料がそこまで高いわけではありません。また、当時インフレにより、生活苦に陥っていた費孝通がやむなく書いた本という側面もあります。
実際に前書きでも以下のような記述がありました。
なかなか今の日本社会からすると想像しづらい現象ですね(笑)
とはいえ、この本は中国の社会学界においては古典として扱われており、名著として今でも多くの学生に愛されております。
※日本でいえば梅沢忠雄の『文明の生態史観』が近いと思います。
自分の読後感としては、欧米流の手法で中国と欧米を比較しているという印象でした。その中に、著者のフィールドワークの経験がちりばめられています。マクロな主張がミクロな調査で補強されており、納得感がありました。
以上、ざっくりですが本書の紹介になります。
血縁と地縁
それでは本題に入らせていただきます。
この章では、題名にもある通り、中国の血縁と地縁について述べていきたいと思います。
以下のページが参考としている箇所になります。
※费孝通:《乡土中国》 北京大学出版社 2012 p113-122
血縁社会と地縁社会の定義
まず、北京大学出版社により、章の導入でいきなり地縁と血縁についてまとめられています!もうここだけで十分です(笑)
血縁に関しては以下のようにまとめられています。
日本語訳は以下の通りです。
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変化の少ない文化では、年長者と年少者の間で社会的ギャップが生まれ、年長者が年少者に対して強制力を持つようになる。 これが血縁社会の基本である。 血縁の意味は、各人間における権力と義務が家族関係によって決まることである。 親族とは、生育と婚姻によって構成される関係である。 実際、単系の家族組織で重視される親族関係は、確かに生育によるものが多く、結婚によるもの少ない。よって、血縁と言っても差し支えない。
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地縁に関しては以下のようにまとめられています。
日本語訳は以下の通りです。
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地縁は、商業から発展した社会関係である。 血縁が身分社会の基礎であるのに対し、地縁はまさに契約社会の基礎である。 契約とは、見知らぬ者同士の間で交わされる契約のことである。 契約が結ばれるとき、各人には選択の自由があり、契約の進行には、一方では信頼があり、他方では法律がある。 法律には、それを裏付ける同意が必要である。 契約の成立は法的義務の清算であり、そのためには正確な計算、まっとうな組織、信頼できる媒体が必要である。
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上記の引用によると、血縁社会は閉鎖的で、前近代的で、生まれつき決まっているものと解釈できそうです。一方で地縁社会は見知らぬ人に開かれていて、近代的で、明示されているものと解釈できるかと思います。
日本人にとっては少し違和感が残るのではないのでしょうか?
なぜなら、费孝通は以下のように定義しているからです。
・血縁社会:ゲマインシャフト。礼による社会。有機的結合
・地縁社会:ゲゼルシャフト。法理による社会。機械的団結
日本においては、地縁社会こそがゲマインシャフトであり、有機的な血の通った結合とみなされるからです。20世紀半ばの中国は少し違うようです。
血縁社会と地縁社会のつながり
血縁社会と地縁社会の差異を強調したところで、
今度は共通点やつながりについて書いていきたいと思います。
以下、日本語訳です。
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血縁社会は安定していて変化に欠ける。 安定した社会では、地縁は血縁の投影に過ぎず、分離されることはない。 「この地に生まれて、この地で死ぬこと 」は、人と地の関係性を固定する。 誕生は血縁であり、彼の地を決定する。(中略)血縁と地縁の一致は共同体の原始的状態である。
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この文章では、血縁社会と地縁社会が一致することが述べられています。
また、余談ですが、『郷土中国』の中で何度も「この地に生まれて、この地で死ぬ(生于斯、死于斯)」で死ぬという表現が出てきます。ひょっとするとこの言葉に中国の郷土社会が表出されているのかもしれません。
以下の文章では20世紀半ばの中国における血縁と地縁の現状について述べられています。
以下、日本語訳です。
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血縁関係のない人たちが地域コミュニティを形成する場合、その結びつきは血縁ではなく、純粋に地縁的なものであるといえる。 そのような場合にようやく血縁と地縁を分離することができる。 しかし、実際のところ中国の郷土社会では、これはかなり難しい。
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前述の文章同様、この文章でも血縁と地縁の分離性について述べられています。それは理論上は可能であるが、実際は難しいといった内容です。
ここまでは、血縁と地縁の一致性を述べられていましたが、章の最後の方で、論調が少し変わります。
以下、日本語訳です。
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親密な血縁社会では、商取引は存在し得ない。 このような社会で交易が行われないということではなく、その交易は相互贈与という形式で、人情によって維持されているのである。 実際のところ、贈与も貿易も大差なく、決済手法が異なるだけである。
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この文章では、商取引という近代的な手法が血縁社会には起こりえないことをが述べられています。最初の文章にもあったように、商取引、つまり契約は地縁社会の特徴とされています。なので、ここでは、血縁社会と地縁社会の不一致が強調されています。
この章の最後のページは以下のように締めくくられます。
以下、日本語訳です。
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血縁の結合から地縁の結合への移行は、社会の性質変化であり、社会史上の大転換であった。
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この章の最後の文章ではやはり、血縁社会と地縁社会が異なる社会形態に属しているという点が強調されています。
まとめ
それでは最後に簡単にまとめさせていただきます。
费孝通は血縁社会を前近代的なゲマインシャフトとして定義した一方で、地縁社会を法理的なゲゼルシャフトとして定義していました。ただ、安定した社会においては、血縁社会と地縁社会は一致します。また、現代中国において、純粋なる地縁社会というのは起こり得難いということも述べられています。しかしながら、费孝通は血縁社会と地縁社会を別のものとみなしており、地縁社会から血縁社会への移行に重点を置いています。
自分の読解力が足りないため、一部誤読している可能性がありますが、大枠上記のような内容になります。
ここで、一つ問題提起するとすれば、
血縁社会と地縁社会は一致するのか?それとも別のものなのか?
ということです。
おそらくは白でも黒でもなく、連綿と続く灰色のグラデーションのどこかに答えがあります。
個人的な感覚でいえば、中国はやはり血縁社会に寄った社会であるかなと思います。この辺の感覚の根拠に関しては今後の課題とさせていただきます。
以上、中国社会学の古典である『郷土中国』を参考に、血縁社会と地縁社会について考察してみました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今後のマガジンでは、上記の問題設定をもっていろいろな記事を書いていこうと思います!!
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