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仲直りに導いた息子の一言が素敵すぎる

先日、妻と息子が何やら言い合いをしていた。

何やら、と書いたのは、私はその言い合いに最初から参加しておらず、原因をよく把握していないからなのだが、要するに「何やら」である。

察するに、息子が何やらイヤイヤをして、仕事帰りで疲れた妻が「そんなことを言うならもういい」と何やらやり返したような感じらしい。何やらばかりで恐縮だが、事態を把握していないため仕方ない。

さて、事態を把握していないために仲介に入ることもできず、かといって「君たち喧嘩はやめたまえ」と偉そうに入っていこうものなら、こちらにも刃が向けられそうな雰囲気である。どうしたものか。

妻が「もういい。お風呂入ってくる」と言い放って、その場を終わりにしようとしていた。ちなみに息子は、ご飯の前に私と一緒にお風呂を済ませてある。

「だーめ!」と言い返す息子。冷静な中にもイライラを隠せない顔で、「何がダメなの」と言い返す妻。息子は半泣きで、以下のように言い返した。

「仲直りしてからなら、行ってもいいよ!」

しばらく、その場だけ時間が止まったかのようだった。何も言い返せない妻。そうきたか、とハッとさせられた私。妻の反応を半泣きで待つ息子。

このまま喧嘩別れのように、決裂する形で終わらせるのはいやだ。「ごめんね」「いいよ」のやり取りを経ずに、この場をなかったかのように終わらせたくない。喧嘩したくてしているわけではない。たまたま主張がぶつかっただけで、あくまで仲良くしたいのだから。

そういう息子の声が聞こえてくるようだった。しばし考え込んだあと、「…おいで」と息子を抱きしめる妻。何やら話し合って、「一緒にお風呂入る?」「うん」などと、何やら仲直りした様子。「もう一回お風呂入ってきまーす」「ふふふ」と笑いながらお風呂に向かう二人。息子の意向通り、仲直りできて何よりである。

一度言い合いとなってしまってから、「仲直りしてからならいいよ」などと言い出す発想は、大人にはなかなかないものだ。互いに、引き返せないフェーズに入っている。どっちの主張が通るか。だって、でも、そっちこそ、などと言い合ったところで建設的な問題解決にならないとわかっていても、先に謝ったり仲直りの提案をするのは、自分が負けた感じがしてなかなか踏み出しにくい。

上記の記事でも少し書いたが、息子は最近、言われていやだったこと、されていやだったことをきちんと主張して、むやみと怒ったりしないようになってきた。もともと、癇癪を起こすようなことは少なかったが、ここのところ、そういう姿が顕著になってきた。

大人になっても、悪気はないのにちょっとしたすれ違いから諍いが起こることはある。しかしその時に、自ら(非を認めるまでいかなくとも)相手に歩み寄ることができるかどうかというのは、社会の中で他者とコミュニケーションを深める上で、とても大切なことだと思う。

さて、何やら仲直りして一緒にお風呂に向かった二人。一人リビングに残された私。何やら丸くおさまったようで、一件落着である。ところで、結局、言い合いの原因は何だったのだろうか。

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さいすけ
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