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記号を媒介とした人間発達を描くために、「記号」の本質や人々と記号との関わりについて探究する。『文化心理学への招待』監訳者まえがき公開(抜粋)

「記号」を媒介とした、人間の未来志向的かつ動態的な発達を描くことを目指す「記号論的動態性の文化心理学」について解説する

記号の本質や人々と記号との関わりを探究し、記号を媒介とした人間の未来志向的かつ動態的な発達を描くことを目指す「文化心理学」について解説した書。人間の精神における文化的な複雑性に焦点を当て、従来の心理学の公理的基盤に挑戦する。また、質的研究法の一つであるTEA(複線径路等至性アプローチ)に関わる重要な概念も解説される。
本書で扱う記号論的動態性の文化心理学は、再現性問題などで揺れる心理学の世界に突破口をもたらす可能性を秘めている。

▷書籍詳細

監訳者まえがき

「記号」を中心概念とし、人間の未来志向的かつ動態的な発達を理解することを目的とする文化心理学。これが本書の主題です。この分野では、文化を「記号の配置」として捉え、個人が記号を介して社会環境と相互に関わりながら生きていく様相、すなわち「個人に属する文化」がどのように構築、更新されていくのかを明らかにしていきます。

 ここで提唱される文化心理学に、違和感を覚える読者がいるかもしれません。それは、比較文化心理学を文化心理学のすべてだと考えているからなのかもしれません。確かに、A という文化とB という文化を比較してその違いを明らかにするのも文化心理学の一側面です。しかし、もし比較がなければ文化が存在しないとすれば、地球文化のようなものは存在しないことになってしまいます。さらに、比較は差異を強調するため、その目指す精神とは逆に、世界に分断の種をまくことにもなりかねません。著者や訳者たちが提唱する文化心理学では、文化に個人が属するのではなく、文化が(記号を通じて)個人に所属すると考えます。この考え方は、記号論的文化心理学とも呼ばれ、ロシアの心理学者ヴィゴーツキーに由来しています。

 類似した立場の著作として、マイケル・コールの『文化心理学:発達・認知・活動への文化─ 歴史的アプローチ』(新曜社、2002 年)があります。この翻訳書は20 年以上前に出版されたもので、コミュニティを現場とする人たちが文化─歴史的視座から研究を行うための強力な基盤となりました。本書における文化心理学は、ヴィゴーツキー流の心理学のうち記号を重視する立場に立つものであり、コールの著書とは趣を異にしますが、それでも広義のヴィゴーツキー流心理学の範疇に収まっています。この新たな視点が、記号を媒介にした文化理解をさらに深めることを期待しています。

 文化心理学は、心理学の一分野でありながら、主流(メインストリーム)心理学の存在論的な公理的基盤に挑戦(チャレンジ)します。日本語版のために書き下ろした序で著者自身が述べているように、この分野は心理的機能が静態的に存在するという考えに異を唱えようとしています。そして、第1 章で詳述されているとおり、文化心理学は心理学を「存在していること」と「実現していること」の間の科学として位置づけることを目指しています。

何かになるプロセスにおいて、何かになるということは、それになる前の状態と、それになった後の状態とは異なる状態です。これは従来の心理学の公理的基盤とは相いれません。なぜなら、何かが創発することと、何かが不変に存在し続けることは両立しないからです。

 著者のヤーン・ヴァルシナー(Jaan Valsiner)は世界的に著名な文化心理学者です。彼はソ連支配下のエストニアに生まれたためロシア語に堪能であり、アメリカにヴィゴーツキーの翻訳・紹介をしたことで知られています。また1995年にCulture and Psychology 誌を創刊したことはこの分野の知的交流を活発化させました。彼は記号論的動ダイナミクス態性の文化心理学(cultural psychology of semiotic dynamics)という新たな学範を切り拓き、現在はデンマーク・オールボー大学教授を務めています。2004 年以降、ヤーンはたびたび来日し、日本質的心理学会や立命館大学総合心理学部(客員教授)を中心に日本の研究者たちと交流を深めてきました。サトウタツヤや安田裕子らとともにTEA(複線径路等至性アプローチ)の開発にも貢献したことでも知られています。

 本書では、記号を媒介とした人間発達を描くために、「記号」の本質や人々と記号との関わりについて探求しています。また、質的研究法TEA に通じる重要概念も解説しています。これらを通じて、ヤーンの基本的な考え方を理解しTEA への理解をも深めることができるでしょう。

 翻訳作業は、立命館大学の大学院において筆者の指導のもとで文化心理学、質的研究、TEA に関心を寄せる者たちが担当しました。翻訳に着手するまで数年にわたって研究会形式で本書を読み込み、また、学会などで本書の意義に関するシンポジウムなどを開催する中で、日本語訳を作成してきました。ヤーンと出会って約20 年、『新しい文化心理学の構築』を出版してから約10 年、ヤーンの考えやその知的背景についてやっと少しは分かってきたというのが私たちの実感です。少なくとも2004 年の最初の出会いのときよりは理解が深まっていると信じたいものです。本書によって、文化心理学の面白さに多くの人が気づいてもらえるのであれば望外の喜びです。

■著者紹介

ヤーン・ヴァルシナー
デンマーク・オールボー大学教授

■監訳者紹介

サトウ タツヤ 
立命館大学総合心理学部教授

滑田 明暢  
静岡大学大学教育センター講師

土元 哲平 
中京大学心理学部心理学科任期制講師

宮下 太陽 
日本総合研究所未来社会価値研究所研究員

●書籍目次
日本語版への序
監訳者まえがき
序 文

はじめに なぜ文化心理学なのか?:人間性を意味づける
第1章 文化というレンズを通じた人間体験:新しい鍵となる心理学へのいざない
第2章 文化とは何か?:そして、なぜ人間の心理学は文化的である必要があるのか?
第3章 心を社会的に共同構築する:交感を超えて
第4章 境界上の文化的プロセス:構築的な内化と外化
第5章 私たち自身を創造する:記号、神話、抵抗
第6章 記号の諸階層:その構築、使用、そして破壊
第7章 文化は対象を通してどのように作られるか
第8章 環境を文化化していく:意味づけによる過剰決定
第9章 社会の質感を一緒に紡ぐ:行為の中の個人的文化と集合的文化
第10章 組織子としての記号:緊張の維持と革新
エピローグ 文化の普遍性の科学としての文化心理学

原 注
訳 注
引用文献
索 引

▷本書の詳細はこちら

『文化心理学への招待 記号論的アプローチ』

出版年月日2024/10/15
書店発売日2024/10/19
ISBN9784414306408
判型・ページ数A5 ・ 320ページ
定価4,290円(税込)

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