自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)
先日、けっこうな時間をかけてそれなりに気合いを入れて投稿したが、思いのほか空回りしてしまって、読み直すと恥ずかしくなって削除した。
何がそうさせたのか?おそらく「作為的に」書きすぎたからなのだろうと思う。「自分語り」のようなものは、歳を重ねるごとに難しく、こっ恥ずかしくなっている気がする。
そこで、たまたま以下の文章に再び巡り合った。(初回に読んだのは3年ほど前だろうか)
どうやら、大庭健さんという方の著書「私という迷宮」に寄せられたコメントであるらしい。
http://www.senshu-up.jp/book/b200416.html
これを読んで少しほっとした、というか、少なくとも今は「直接的な自分語り」は避けたほうがよいのだろうと気づかされた。いや、これからもずっとそうかもしれない。
例えば僕のこのnoteでもそうだが、主に他者の物語(小説等)を通じて感じ取った上澄みみたいなものを綴っている方が「心地よい」みたいだ。
ちなみに村上春樹氏の上記テキストの後には「本当の自分とは何か?」という問いかけが凶悪なカルト集団を生み出した、という話に展開していく。
おそらく、特にこの頃(およそ20年前)は氏の創作活動の中でも避けて通れない問題意識だったのだろうと思う。(が、僕はその部分は割愛する)
さて10ページほど進んで以下に続く。
そしてこのあと最後に「牡蠣フライの話」と題して、原稿用紙四枚以内で実際に書かれて締めくくられる。
「好きな文章に出会い、それに少し自分のコメントを添えて紹介する」のもまた創作といえるし、そうすることで満たされていくものがある。(あるいはからっぽになっていくものがある)
(書影 https://www.shinchosha.co.jp より拝借いたしました)
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