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自分に「NO」と言う~イヤを誤魔化さない~

ただいま、加藤諦三先生の「行動してみることで人生は開ける」を読んでいます。

やりたいことは何だろう?と日々模索し、その参考になると思って読んでいます。その本の中でとても興味深いエピソードがあり、そのエピソードに近いことを最近やったことを思い出しました。

今回はその2点について紹介します。


まずはエピソードから。サブタイトルは『”小さなこと”にも億劫がるなー「ノー」を言うこと(2)』。エピソードは以下の通り。

先生はあるスーパーで靴を買った。しかし、帰宅してから靴を見ると靴紐が1本しかない。たかが靴紐1本程度に文句を言うことは「くだらない」こと。

だけど本当は、それはくだらないのではなく「億劫」だから。なんとなく行くのがイヤ。それを合理化させようとくだらないと思おうとする。お店に行くのも、説明するのも億劫。

しかしそうやって、自分のイヤな気持ちを押し込めれば後で陰口になり、もっとイヤなことになる。だから、わざわざスーパーへ行き、事情を説明して新たに靴紐を1本貰って来た。

…というエピソードです。

これを読んで、ぼくにもこんな風に「この程度で」なんて考えて自分の嫌な気持ちを誤魔化してきたことがあります。「このくらい言わなくてもいいや」なんて思いながら、その言わなかったことがずっと棘のように刺さっていることもしばしあります。

しかしこのエピソードは、自分が何かモヤモヤした気持ちになったとき、それを誤魔化そうとする自分に「NO」と言い、相手にしっかりとNOを言う。

相手にだけではなく、くだらないと誤魔化そうとする自分の気持ちにもNOを言う。そんなエピソードだと思いました。


このエピソードに近いことを最近行いました。それを紹介します。

いつも散歩する道の途中に、新築の家があります。その家は庭に芝生を敷くなど、かなりこだわりがある家です。

ある日その家の前を通ると、どこからか水の音。音の出所を見ると、水はその新築の家のホースから垂れ流され、芝生から溢れて道路にまで伝わり、排水口に流れていました。

これは初めてではなく、過去にも何度かありました。そのたびにぼくは「言ったほうがいいかな?」と思いつつも、余計なお世話になるんじゃないかなと家主にどう思われるかが不安で、そのまま見逃していました。

しかし今回は一旦家の前を通り過ぎたけども、「言ったほうがいい」と思う気持ちを誤魔化そうとした自分にNOを言い渡しました。逃げて済まそうとした気持ちにNOを突き付ける。そして道を引き返し、水を垂れ流す家のインターホンを押しました。

その家はぼくとは何のつながりもありません。まったくの赤の他人です。それでも、言ったほうがいいと思いました。

インターホンを押して数分。反応がありません。また押しても反応なし。どうやら家の人は不在で、だから垂れ流しになってしまっているのかなと思いました。

水道の蛇口までは数mでした。しかしこれ以上は不法侵入。もしかしたら理由があって垂れ流しなのか?そう思うと、勝手に止めるわけにもいきません。

そこで引き返しました。ぼくとしてはこれで満足でした。最低限、言おうと思った自分の気持ちに従った。結果的に水を止めることにはならなかったけど、止めようとして自分がやるべきことだと思ったことはやったんです。それで十分でした。

水は止まらず垂れ流しでしたが、気持ちはインターホンを押す前より晴れやかになっていました。


ぼくがやりたいことは何なのか?

日々考えていますが、そうやって考えると思いつくのは娯楽やレジャーなど1回限りのイベントごとばかり。ですが加藤先生の著書から、やりたいことというのはそういうことだけではないと教えてもらいました。

周囲の気持ちや他人にどう思われるかという不安ばかりが先行し、自分の気持ちにNOをしてしまう。他人にNOが言えず、YESになってしまう。

自分の気持ちにNOしない。それもまた、ぼくのやりたいこととして心に留めていこうと思いました。

それではまた。


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