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指でつまむは、ペンか振り子か 7 ~専門性って、隣の広い場所で活かしてもいいじゃん~
近頃は和風のダシを作る際、白だしと麺つゆをブレンドするのに凝っている。
今日初めて気付いたのだが、両方ともパッケージに「鰹節屋だからうまい」というコピーが踊っている。鰹節の旨みとかダシの出具合なんかを知り尽くしたその道のプロが作りましたよ、というアピールなのだろう。そう聞くとたしかに美味しそうに思える。
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これに良く似た言葉を聞いたことがないだろうか。そう、「お肉屋さんが作ったコロッケ」だ。素材を売っている肉屋さんが調理の分野に? と一瞬思うが、肉のことを知り尽くしているプロが作るのなら、さぞ美味しいコロッケなだろうなぁ、とやはり思わせられるから、不思議だ。
そういえば今日のツイッターにも、「八百屋さんが運営する野菜炒め専門店」が繁盛しているという話題があった。「二郎系野菜炒め」というのもなかなかのパワーワードだが。これもその類であろう。
これは盲点。でもいいアイデア! https://t.co/mg2sssJIta
— 瀬井隆@SEI's factory (@seiryu_09) May 4, 2022
これら一連の話題、他愛ない話といえばそうなのだけれど、意外と重要なことを含んでいる気もする。つまり、進むべき道が先細りもしくはパイの拡大が見込めない場合、培ってきた専門性は、より大きな市場に挑むときの武器になるんじゃないか、ということだ。
で、これが僕たち字書き稼業となると、どうだろう。
もう繕っていても仕方ないので言うけど、小説の市場は先細るばかりである。これだけネットに創作物が溢れている昨今、書いたものを読ませるという行為を、ペイする商業活動として成り立たせるのは、至難の技だ。読者が700円近くを払ってわざわざ紙の本を買うのが当たり前だった時代は、とっくに終わっている。
作家が小説一本で食えなくなった場合、どうするか。最近加入したNetflixを観ていて、その答えが見えそうな気がした。
福井晴敏先生という作家さんがいる。僕もデビュー作から読んでいるが、「亡国のイージス」は映画にもなった。軍事物にめっぽう強い方である。
その方がアニメのガンダムシリーズやリメイク版の宇宙戦艦ヤマトの構成を手掛けている。福井先生だけでなく、SF作家として有名な円城塔先生も、アニメのゴジラSPの構成でテロップに名を連ねている。
つまり、そういう手だ。作家の武器は文章力もさることながら、物語をまとめ上げる構成力にある。なにも書き連ねた文字を売文せずとも、それが必要とされるコンテンツ制作の場で力を発揮すればよい。
さて、自分の場合はどうだろう。
残念ながら官能作家の場合だと、アニメで構成力を活かすといった機会はほとんどない。
ひとつの試みとして、僕の場合自主製作でノベルをシナリオに再構成して音声作品を創るという試みをしている。残念ながらまだまだ満足のいく結果は出せていないけど。
ちなみに催眠の腕も上がってきているのだが、これを創作と絡めるにはまだ至っていない。なにかいいコラボはできないものか。
まっすぐな道の先がどうも塞がれそうだったら、周りを見回して、これまでやってきたことを活かせる広いフィールドへ踏み込んでみる。そうしたことが、これからはもっと必要になるかもしれない。
……と、白だしと麺つゆをブレンドしながら考えた次第だ。