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小説『空生講徒然雲14』

 目的地の東京に向かう途中では鳥たちと群れながら走る事もあった。鳥たちはカワサキW650を奇妙な怪鳥だと思い遠巻きに飛行していた。やがて、害もない天敵でもないと分かると、電線上を走るカワサキW650に近づいてきた。私たちは暫し群れて走り、あるいは飛行した。

 今、隣を飛んでいるのはヤノコトリだ。ヤノコトリは喉奥に袋をもった小鳥で、好物のてんとう虫をその袋に数匹ためながら腹が減ったら食べる鳥だ。死と隣り合わせのてんとう虫の断末魔のような羽音がヤノコトリの喉袋から鳴っていた。その微動がなぜかいつも残酷にも、可愛らしかった。
 喉奥の袋に捕らえられたてんとう虫は、ヤノコトリがクチバシを開けた瞬間に袋から飛び立とうといつも隙を窺っていた。ヤノコトリは私の頭上の『?』に興味があるらしくて、宿り木代わりに『?』に止まって羽根を休めている個体もあった。私がアクセルを開けるとヤノコトリも鳴いた。その瞬間を待っていたてんとう虫も逃げだそうと羽音を鳴らしている。一匹は逃げられた。賢い者だ。
 不思議なハーモニーを奏でる群れが、埼玉県をゆらゆら南下していた。

 私は東京に近づくと、時を見て必ず電線から電車の架線に乗り換える事にしていた。東京の電線は複雑でどこまでも絡み合った針金だ。繁華街などはいっそうひどく、針金のあみだくじを束にしたような具合だった。その電線をつないで走破して目的地に向かうのは骨がおれるのだ。
 気が乗らないといっていい。あるいは私がダートやラリーに関心をもったライダーだったら、愉悦感でいっぱいだったかも知れない。私はそうではなかった。ごくふつうの田舎道をたらたら走るライダーだ。
 大都会と大自然は苦手だった。私に言わせると、大都会と大自然は似ているのだ。どちらにも抗えない予測不能の『狂気』があった。

 山手線の域内に入ると、さらに複雑な突貫工事で復興した東京の蜘蛛巣状の電線が、道理を超えてふざけているようだった。
 私は山手線を走っている。カワサキW650の下を上り線電車と下り線電車ががせわしなく行き交う。が、そろそろ終電の時間だろうか。ビル群の灯りもぽつりぽつりと消えて行く。一部の盛り場を置き去りにして東京は眠りにつく。目的地の東京タワーまでもうすこしだ。


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