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『自堕落静養日記。十月十日』

腐ったみかんの例え話がある。
かつて、サッカー日本代表のブラジル人監督も、この例え話を持ちだして日本代表チームから選手を追放したことがあった。このことから、この例え話は世界でも一般的な広がりをもっていて、各々の地で相応しいフルーツ名を与えられながら生きながらえてきたのだろう。

腐ったみかんの例え話とおなじ文脈でもっと強烈に例えたい場合は『癌』が使われる。私は癌になってからこの例え話を耳に触れてはじめて、はっとした、その後、もやっとした。そして、みかん農家さんの悲哀を認識した。
私は、この一般的な例え話に『癌』が用いられても、「はっとしてもやっと」はするが、私のなかでは許容範囲内で問題ない。気づかいはいらない。

でも、小児がんの子どもたちがいることを忘れてはいけない。
『穢れ』とか、どうだろうかと考えたけれど、宗教的過ぎるか。世界性もない。なにかよい語はないものか。『悪』ではつまらない。

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