『伊勢崎市』
さて、群馬県伊勢崎市在住の私が来ましたよ。
私のエッセイでもしばしば公園で散歩の話を書いてきましたが、私がよく散歩しているのは、いま話題の公園ではありません。例の公園はわりと住宅街にあるのです。そして、近所の人たちが主に利用している小規模の公園だと思います。ほとんど、顔見知りの人しか利用しないような公園ではないでしょうか。
私のような中年男がふらっと昼間から行ってのんびりできるような公園ではないですね。だから、その公園には行ったことがありません。
伊勢崎市には本流の利根川から分かれて、襷を斜めにかけるようにバイパスの役割を果たしている川があります。それが広瀬川です。一端、利根川から離れて、埼玉県との県境を流れる利根川と再度合流する川です。
その広瀬川沿いにはサイクリングロードが整備されていて、その広瀬川沿いには公園と散歩道もたくさんあります。例の公園とはかなり距離があります。
80年代の広瀬川沿いには、まだ自然林(雑木林)も沢山ありました。
現在では、それを潰して平らにして、人工的に雑木林を模した公園がいたるところに造られています。化学物質と生活排水で泡がブクブクたまっていた川も綺麗になりました。
老若男女が思い思いに有意義に過ごせる大規模な公園に様変わりしました。
当然、その川沿いの公園にも愛犬家が散歩をする様子が見られます。しばらくは肩身の狭い思いをするかも知れません。愛犬家が肩身の狭い思いをして、犬の散歩を控えるなどすれば、犬にストレスが溜まる事にもなり悪循環になるでしょう。狂犬病の注射をしていないなどという事は、問題外のレアケースなのでしょうから、つとめて冷静に過ごしたいものです。
私の両親などは川沿いの公園でよく散歩をしています。襲われたらパニックになっていたでしょう。
群馬県伊勢崎市は群馬県では珍しく、人口の転入が転出を上回っているところです。隣の太田市には『SUBARU』があり、戦前から工業と繊維産業で栄えてきた土地です。テレビドラマにもなった国定忠治の『国定』という町もこの辺りにあります。大小さまざまな古墳群もあることから、渡来人の入植も多かった土地でもあります。
利根川の別称は『坂東太郎』であることから、板東武者の起こりもこの辺りだったかも知れません。かつて、この土地で板東武者が馬で群れて縄張り争いをしていたのでしょう。その中から豪族が誕生して、足利家や新田家が頭角をあらわすまでになり、鎌倉幕府が瓦解するところまで行った。そして、上洛。将軍。室町時代。
関東平野の北の縁にはそんな(荒々しい)風土がうまれる土壌がありました。そして、みなさん知ってのとうりの自民党王国でもあります。
大人になって気づいた事ですが、私が通っていた小学校の正門から北に真っ直ぐ歩いて5分の所に繁華街(風俗街ともいう)がありました。私たち子どもたちの遊び場でもありました。「ネオンでキラキラした町だなぁ」くらいにしか思っていませんでした。そんな繁華街でかくれんぼをしたり、銀玉鉄砲で遊んでいました。それが、私の町です。
馬で群れていた豪族の土地には、バイクで暴走して群れる若者がまだおり、銀玉鉄砲で遊んでいた繁華街では数年前に(本当の)発砲事件もありました。
観光名所はこれといってありません。東武伊勢崎線で浅草までいけるところから、東京の下町文化が入り込んでもいます。『もんじゃ焼き』の店がちらほらあります。東京でしくじって「とんだ」者が急いで乗った電車の最終流刑地が伊勢崎市かも知れません。
伊勢崎市の宣伝は以上になります。
因みに、私の両親は新潟生まれの新潟育ちで高度経済成長期に東京に出て、しくじって、東武伊勢崎線の下り電車に乗って埼玉を経由して伊勢崎という最終流刑地までたどり着いたようです(誇張しています)。
まあ、白村江でしくじった百済系の渡来人の、関東平野への入植と一緒ですね。今では、外国人労働者も世界中から来ています。
実のところ、この土地は大昔とそれほど変わっていません。