『空生講徒然雲27』
空生講徒然雲は利根川を越えた。此処は、もの思う種の世界で私が暮らしていた故郷なのだろう。ただ、私のまだらな記憶の郷愁はこの土地の何処かの草むらにでも落ちているのだろう。私はなにもかんじない。御師とはそいう者なのだろうか。御師どうしはお互い挨拶するていどの関係でしかない。いちど他の御師と話してみるのもいいかもしれない。
私のこの土地とのつながりは、もう、入口と出口でしかない。もの思う種の世界ともの生む空の世界との、空下がりと空あがりのときだけだ。御師それぞれの入口と出口はちがう。私のそれは赤城山の南麓にへばりつくようにひろがる大室古墳群なのだ。それには、なにかの理があるのだろう。
東京のない者になった行者を迎えに行くときも、決まって東京タワーの宙空だった。東京タワーが倒れでもしたらどうなるのだろうか。これから我々は群馬を越えて新潟に入る。新潟でない者になった行者は、新潟と福島の県境にある『麒麟山』の頂上にうかんでいるのだ。そしてその行者のゆかりの地へ御師に連れられてむかう。東京タワーの宙空の風見鶏の鉄塊とおなじ理屈だった。そういう仕組みを何者かがこしらえたのだ。
ただ、麒麟山はとくべつな山でもあった。『狐の嫁入り』が毎夜行われているのだ。そのために私は面を拾い集めたのだ。まあ、後ろを走るバラクラマのくノ一姿のシマさんにはもはや要らないのだが。
その前に、鬱々不安骸骨のタカナカさんに目を入れて貰わなければならない。ロックストラップで縛り付けられたとはいえ、タカナカさんはふらふらしている。シマさんにもヤマハSR400にも負担がかかっているはずだ。
青猫タルトは、我が頭上にいるようだ。屈んでサイドミラーを覗くと我が頭上で丸くなっていた。飽きればシマさんの胸元にもどればいいのだが、あいにくタナカタさんのロックストラップでシマさんの胸元にはキツくテンションが掛かったままだ。青猫タルトの入り込む余地などなかった。
薄明からいつのまにか薄暮をすぎて、暗がりの世界がはじまっていた。薄明と薄暮の境目などだれにもわからない。我々は猿ヶ京を過ぎて、三国峠を越えようとしてる。
もうすぐ県境だ。新潟と群馬の県境は動いている。三国峠の妖怪の仕業なのだが、動く県境など、もの生む空の世界にとって全くの無害だ。まだ、県境が国境だった頃から、三国峠はその妖怪が暮らしているのだ。その妖怪は、妖精と言っても良いのだが、私が生んだものではない。この、もの生む空の世界でずっと暮らしている気の良い妖怪だ。私が生んだ『ゆ魚』や白黒の『ホタルイカ』などとおなじで、何者かが生んだのだろう。それは遙か昔の話だ。川端康成が生きていた頃よりもずっと前だ。
私は、『国境』の話がしたい。『上越国境』の話だ。川端康成が決めたわけではない。が、文句をいいたい。私が思うに、その雪国へ向かう国境は「国境の長いトンネル」を、ぬける前にあるのだ。群馬と新潟の国境は、三国峠の群馬側にある(残念ながら群馬の面積は小さくなる)。
三国峠の群馬側で、標高800m~900mの間で絶えず正しい国境が動きつづけているのだ。
私はもの思う種の世界で暮らしているときから、オートバイで走るのが好きだった。ほぼ『走りっぱなし』だ。昼飯を抜いてでも走りっぱなしなのが私なりの流儀だった。そんな私だからわかることがあった。三国峠の標高800m~900mの間に空気の変わり目があるのだ。まず、車ではわからない感覚だろう。新潟から群馬へ帰る三国峠のくだりで「むん」としたぬるさをオートバイなら感じることができるのだ。
その正体に気づいたのは、もの生む空の世界の御師になってからだ。
例えば、鎮守の森の神社の鳥居をくぐり、一歩二歩と進んでゆくと突然あらわれる得体のしれない、「しん」とした神聖な空気の層。からだが洗われてゆくようなそんな経験を私はしたことがあった。
群馬と新潟の国境にはその得体のしれない『ぬるい』空気と『つめたい』空気が、標高800m~900mの間でのぼりくだりをくりかえしているのだ。私はそれを妖怪『ぬるりんぼう』と『つめたいんじょう』と呼んでいる。『ぬるりんぼう』と『つめたいんじょう』は夫婦の妖怪だ。三国峠の守り神でもある。
夜半、標高900mでは『つめたいんじょう』が熟れたくちびるでぬるい空気を探し求めて「吸う吸う吸うぞ。われの夫を吸う吸う吸うぞ」と、山をくだりはじめる。いっぽう、標高800mでは『ぬるりんぼう』がまるまるとした尻を山上にむけてぬるい屁を「むんむれむんむれ、われの放屁は妻をいざなう」と山上をずいずいのぼる。「見つけたりわが夫」「見つけたりわが妻」
『つめたいんじょう』が『ぬるりんぼう』のぬるい屁を吸いきった。白桃を食う美しい娘のようだった。『ぬるりんぼう』の尻はすこし萎んだ。『つめたいんじょう』の頬は紅く膨れた。夫婦の妖怪の愛が辺りの空気を変えた。
夜な夜な三国峠の標高800m~900mでは夫婦の営みが行われている。
そこが、正しい国境なのだ。今夜の国境はどこだろうか。私は三国峠の空気の変化を感じ取ろうとしていた。
「わ。涼しいかぜ」、シマさんはそう言った。なんと感性のゆたかな行者なのだ。この辺りの森で、『つめたいんじょう』と『ぬるりんぼう』が出会い、夫婦の営みが行われいるのだろう。薄明薄暮であれば、会って挨拶でもと思っていたのだ。しかし、暗がりのこの時間に会いにゆくのは野暮というものだ。
「みやお~ん」、青猫タルトも私と同意見のようだ。先へゆこう。われわれは国境を越えて新潟に入る。国境の長いトンネルの森の上を走りぬけたら、暗がりのはずの新潟があるはずだった。
そこは秋の稲色にひかりかがやく新潟だった。暗がりであるはずの苗場山がひかりに包まれていた。
「行者が逝きました。苗場山のほうです」
「見えます。登山中の事故でした」
苗場山で、山登りの御師が勤めを果たしたのだ。
「シマさん、あれは山登りの御師です。山登りの御師と行者は歩くことしかできません」
「では、私が山登りで、ない者になっていたとしたら、東京から」
「はい、歩くのです」
それはそれで、楽しいのかもしれない。御師も行者も山登りを愛しているのだから。一体何日かかるのだろうか。
「みやあ、みやあ」、青猫タルトは、嫌だ、嫌だと言っているようだ。
「あら、タルト。アタシはそれでもいいわよ」
そうだ、バラクラマのくノ一にとっては朝飯前のことなのだ。