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「記録と記憶」#書く習慣29

日々の診療お疲れ様です。TROT(トロット)です。

今日は息子のハーフバースデーの記念撮影のためにスタジオアリスへと行ってきました。撮影する回数が増えるたびに以前よりも上手に撮影できているなあとお父さんは感心していました。

子どもって勝手に成長していきますよね。

その一歩目はきっと模倣だと思うけど、その模倣の対象でいられるようなお父さんでいたいものです。

さて、今日はタイトルにある通り「記録と記憶」についてまとめていきたいとおもいます。



記録と記憶

言葉って使い方が難しいから、一度この2つの言葉について調べてみました。

すると…、以下の通りでした。

記録とは…

将来のために物事を書きしるしておくこと。また、その書いたもの。
 現在では、文字に限らず、映像や音声、それらのデジタルデータも含む。
⑵競技などで、数値として表された成績や結果。また、その最高数値。
⑶歴史学・古文書学で、史料としての日記や書類。
( Weblio )より引用

記憶とは…

過去に体験したことや覚えたことを、忘れずに心にとめておくこと
⑵心理学で、生物体に過去の影響が残ること。また、過去の経験を保持し、これを再生・再認する機能の総称。
⑶コンピューターに必要なデータを蓄えておくこと。
( Weblio )より引用


要するに…

「何かの媒体に残しておくことが記録心に留めておくのが記憶」ということになります。

では、僕らのような先生と呼ばれる立場の職種の人種が選択すべきはどちらなのだろう、と考えたときに僕は今まで「記録」を選択してきました。

感情とか、ニュアンス、その時の風景なんかは排除して「現実」をしっかりと書き記して残すのが必要なのだとばかり思っていました。
成績や結果とコミットするのが「記録」なのだからそこを積み立てていくことがいい治療家のなすことなのだとばかり思っていました。


けれどきっと、それだと少し足りない。


患者の症状の出現背景、家族との関係性、職場での発言権とか。
あげればキリがないけど、患者の症状には記録へと結びつきやすい明確なものと、記憶と結びつきやすい不明確なものが混在していることが多いです。

そして厄介なことに記憶と結びつきやすい不明確なものは患者が認識していないことがほとんど。なので治療家側に聴取する力がないと患者の症状の原因追及はずーーーっとできないままになることが多い。(つまりよくならないってこと)

外力の働き方とか、ストレスのかかり方。体の使い方に、柔軟性や拘縮の程度。

もちろんすごく大事だし、それで症状が改善する人もいる。
けど、それだけじゃ足りない人もいる。って認識は持っていないとなあ。


傲慢でいるときっと見えない世界だよね。



人の体ってすごーく難しく思えて、実は単純で。
けどその奥にまた難しいところがちらほら垣間見えたりするから本当に不思議。

いつまでも謙虚でいたいものです。