
【一首評】〈第10回〉来世では、もう出会わない気がしてる「さようなら」って言えてよかった/中村森
来世では、もう出会わない気がしてる「さようなら」って言えてよかった
/中村森(『太陽帆船』)
生きていても会えなくなる人がいるということを、おおよそ理解していなかった幼い頃。教科書の定型文を音読するかのように、「さようなら」を口にしていた。
小学生の時、全学年一クラスずつしかなく、学年が上がっても同じ友人たちが変わらず教室にいて、それが当たり前だった。それなりに仲が良かったし、上下の学年を交えて遊ぶことも多かった。あの頃は挨拶や自己紹介なんかしなくても、放課後の校庭に集まって、ただ一緒にケードロや花いちもんめなんかをするだけで仲良くなれていたような気がする。次の日も、その次の日も、約束がなくとも集まって、遊んで家に帰って、また遊ぶを繰り返していた。
誰かと別れていくことがひどく淋しいものだと、気づいたのは中学生の頃。映画の登場人物たちの出会いや別れに涙し、ふとあの頃仲が良かった友人たちと一度も会っていないことに気が付く。スマホを持つようになって、SNSなどを通じて連絡先が安易に交換できるようになっても、小学生だった時の友人たちとはやり取りをしていなかった。特別連絡する理由がなかったからだ。
あの頃は同じ教室に通って、同じ授業を受けて、見ているものも時間も環境も、今と比べてよく似ていた。それぞれが違う学校に通うようになり、過ごす時間も部活動も、周りの友人も変わっていった。おそろいで買ったものが壊れて使えなくなって、新しいものを自分好みに買いそろえるようになった頃、繋がれていた糸は完全に切れ、あんなに仲が良かった私たちの間に共有できるものは何一つなくなっていた。
先輩や後輩もそうだ。あの頃約束なしに遊んでいた彼らは、気づけば卒業し、疎遠になっていた。今どこで何をしているのかわからない。名前も、顔も今となっては曖昧で、最後の会話すら覚えておらず、ただ引かれた手の優しさだけが記憶に残っている。
小学校・中学校・高校・大学と、環境が変わる度に会えなくなる人がたくさんいた。友人だけではない。公園でゲートボールをしていたおじいさん、おばあさんや、日曜日の朝に野球を教えてくれた近所の人、水泳やバスケのコーチ、親戚の人、同じ授業を受けていた人、バイト先の社員さん、学校の先生、非常勤の教授、マンションの同じ階の人、就活で仲良くなった人。「さようなら」を口にしなくても、ふと気づけば二度と会わない存在になっていて、日々の生活の中にその声も顔も名前も埋もれていってしまう。
生きていても会えなくなる人がいるということを、身をもって経験し、実感したからこそ、年を重ねる度に「さようなら」という言葉が言えなくなっていくように思う。人にも、物にも。
そんな淋しさをまとった「さようなら」を、この歌では「言えてよかった」と振り返っている。「来世」でさえ「出会わない気がする」相手とは、ついさっき別れを告げたのではなく、過去に別れて以来会うことがなかった人物だと想像する。それは喧嘩した友人だったり、恋人だったり、亡くなった人かもしれない。「言えてよかった」という言葉には光があるが、反対に言い聞かせている言葉のようにも聞こえる。別れに際し、苦しくも悲しくもあっただろうが、時間を経て「言えてよかった」と振り返ることが出来るまでになった。そうして人は別れを受け入れていくのだということが切なく、しかし、その時の中で新たに出会った存在が、この歌の主体を悲しみから救ったのではないか。何かを失えば、何かを得ることもあり、生きている時間が長ければ長いほどそれは繰り返され、手の中に残るものは唯一無二の存在になっていく。
別れても会えなくなっても見えずとも一度出会えばずっと祝祭
/中村森(『太陽帆船』)
同歌集に、こんな歌もある。もう会えなくて、姿が見えなくて、会話をしたりそばにいられなくても、その人との記憶はなくならず、自分の一部となってずっと残っている。何億人という人の中で、偶然同じ選択をし、出会った人との記憶は、忘れてしまっても、思い出せなくても、ずっとどこかに残っている。別れを悲観するのではなく、明るい方向へと導いてくれるやさしさとあたたかさがある。
「さようなら」が少ない人生であって欲しい。けれど、「さようなら」が言えることは幸福なのかもしれない。この歌は、そんな気づきとともに、寄り添いながら明日へと進む一歩目を一緒に踏み出してくれるようである。
(4年 A.M)