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ヨガインストラクター腰痛記録

晴れた日海で腰に落雷

2024年8月30日 台風10号のうねりが少しづつ到来している和歌山の海岸。
晴れた海で清々しい気持ち。
忙しい9月の前の隙間時間。
この夏最後の海遊びと考えた。
いつもよりも入念に。準備運動も終え。
いざ。
本当にいざ。立ちあがりロングボードを持ち上げようとした瞬間。
腰というか仙骨に バン!! っていう雷が落ちた音がした。


そこから、腰が鈍い。痛みはまだない。でも動かしにくい。
でもうごく。
このままちょっと落ち着いて、ストレッチさえしっかりすれば、、、
痛みも、この鈍痛も鎮まってくれるはず。
ちょっと待て。ちょっと待て、ちょっと待とう。
上がってきている波をみて、今入らないと、早く入っておかないと、自分のスキルじゃ楽しめなくなる。痛みよ、早く沈まれ、収まれ。
と願い砂浜に転がり。
なんとなく緩んできた気がしたから、ゆっくり立ちあがり、へっぴり越しで、ボードを運び入水。
パドリングもできた、テイクオフもできたけれども、どうも腰が気になる。
それでも2時間ほど波に巻かれ1ラウンド終了。
一旦上がろう。。
歩き出したが、どうも背中がうまく動かない。
ボードが重い。
ウェットスーツが脱げない。
ズボンが履けない。
どんどんと背中が何かに襲われていく。
憑依というのはこんな感じか?
なんとかボードを洗い、着替えを済ませ、
一旦車に乗ってみた。運転はできそう。姿勢も痛くない。
しかし、乗ったら最後、車から立ち上がることがなかなかできない。

なるほどこれは、ぎっくり腰。

とにかく早く治すために駆け込んだ整体

とりあえず帰宅ができた。
自転車も乗れた。
幸い月末。次の仕事までに2日ある。
とりあえずこの硬くなった背中を緩ませることができればなんとかなる。
そう考え、まずは柔軟ストレッチを繰り返す。
家では仰向けで過ごす。
翌朝には治ってるはず。。だってヨガインストラクターなんだから。

翌朝、激痛。
翌朝というか、夜寝ることすらできない。
寝返りも、トイレに行くのも一苦労。
朝、立ち上がるのもやっとのこと。
これはいかん、自力ではなく他力へ。。
ということで、一番近くの、鍼灸&整体へ。
ぎっくり腰には鍼灸がいいらしい。というネット情報。
とにかく、「こうすれば治る」「満足度⚫️⭕️%以上」いう情報にしか目がいかない。そして土日開業のお店。
電話で確認
「昨日ぎっくり腰になりました。治りますか?」と私。
「数回で治ります」と明言した治療院。
早速、15分後には寝台の上に寝転び施術。
悶絶のマッサージ。
悶絶のマッサージ。
悶絶のマッサージ。
たぶん30分悶絶し、その後に鍼灸。

トータル45分ほどの施術が終わり、あまり変わってないけど、はじめに4回ほどで何とかするという力強いお言葉があったので、信頼し明日も来ます!と良い返事をして帰宅。その後セルフでヨガ練習を何とかこなす。

翌日も
悶絶のマッサージ。が繰り返し。
苦手な鍼灸にも心を落ち着かせ。
あれ、ちょっと楽かも。というのも束の間。その夜には同じかさらにキツい状況。

3日目
鍼灸を長めに。
筋肉はほどほどに。
少し前屈動作が動く感触。
あぁ、ちょっと感動。
なるほど、筋肉を緩めればいいだけだ。という早合点。

4日目
鍼灸をメインにした施術。
昨日ほどの感動はないものの、楽になっている感じ。
しかし、寝る、立つの動きにいちいち激痛。
しかし、ヨガレッスンはある。
生徒さんも、うすうすと勘付き始めている。

「先生、ちょっと歩き方変」

毎日のように通った鍼灸院も、これ以上の手立てがなくなったのか、
しばらく休憩しましょう、というお達し。

湿布や磁石の力を借りながら、自分の体に聞きつつヨガの動作を体に確かめるように取り入れていく。
痛みの質というか場所が変化していく。
背中の筋肉や、ハムストリングスの痛みは少し緩んでいく。
代わりに、刺すような痛みが臀部、左足側面に広がり出す。
前屈時に特にキツい。

これは、昔にやったことある。
10年前に経験したやつと同じだ。。。。

椎間板ヘルニアか。。。

10年ほど前に体験したヘルニア。
あの時も9月〜10月だった。長距離バスを乗り継いで向かったヨガイベント会場で背中がバン!って。。
季節の変わり目?疲れ?ストレス?
よくわからないけど、前回も前屈系が激痛。それでも9〜10月のイベント集中期間を色々とこなしながら、最終的には、あの時、不思議な非接触の施術を3回ほど受けて快方に向かった。
よし、それならと、コロナで一旦閉まってしまい今は京都にあるその治療院へ、1時間以上電車を乗り継ぎ、、、、、移動するも、電車から降りられないと思うほどの痛み。立てない。。
半ばびっこを引きながら到着したが、以前のような感動を味わうことなく帰路の電車に揺られ。
肩落とし、お尻を守りながら帰宅。

それでも、その週末には高野山の合宿。

車に乗って
恒例の高野山ヨガ合宿へ。
片方の足が思うように動かない。
ならばと、話術で何とかと、、、しても痛い。
でも痛みを訴えたところで、お大師様も迷惑だろう。
だから、できないことを手放して、できることのレパートリーをもっと模索して、それでいて感動的に。合宿を終えるためのプランをと頭がフル回転。

でも、参加いただいた皆様に、優しく見守られている感じは常にあり、
菩薩様ばかりの参加者様。

水行で奇跡の復活!!をと、思っていたけれど、気持ちはスッキリ。痛みはズキズキ。
それでも1泊2日の合宿を終え、荷物を片付け、帰宅。
翌日はプライベートレッスン。
その後は半日休み。

ここしかない。

やっぱり今回は整形外科へ

あきらかに前回より痛みがキツい。生活への支障も出ている。やっぱり早めに整形を受診しよう。
半日の休み。
行こう。
MRIで物理的に診断をしてもらおうと、リハビリ室が充実しているクリニックへ。

その日の内にMRI撮影、そして診察へ。

結果、「たいしたことのないヘルニア」

そーなんですか?と拍子抜け。
この痛み。。。

そうか、これは大したことのないヘルニアか。
自分が痛みに弱いだけなのか。そうか、、自分が弱いだけか。。

そんな「自分を責める」ような気分になり、
自分が我慢して、自分が努力すれば、自分が悪い。。。そんな思考になり。
でも、どうしても痛いから、「どうすれば治るのか?」を問うても、

「痛み止めを飲んで、様子を見る」しか無いのだそう。

足の痺れや指の動き難いのはどうすれば?

運動療法も意味がない。つまりはヨガも意味なし?

どうしても辛いのであれば、仙骨から注入する注射で
炎症を抑える治療があるけどどうする?という提案。

ちょっとでも楽になるのであれば、、と。
注射嫌いの私が、お尻を出してベットに横たわり。
悶絶しながら受け入れた注射の効果は、1日と持たなかった。

ヘルニアでも意味があった施術

痛み止めしかないと言われ、ヘルニアと言われ、夜も寝れず、、という日々。
イベントも毎週のようにあり、高野山合宿を終え、痛みも徐々に強まっていくなか、自分なりの運動や工夫をしてみてもその場しのぎ。
自分の体に必要なことを正しく感じるというのは、なかなか難しいものだと
自分の未熟さを痛感。

その中で、どうも自分の仙骨の動きが硬いというか、変?という感覚がずーっとありながら、どうにも調整ができない。
そこで、我がゴットハンドのまこと整体の大林誠先生の施術を受けた。
丁寧に骨盤の調整と、緊張した筋肉へのアプローチを痛みなく施してくれたあと
「軽い!」という体を感じた。
薬が効いた時のような、軽さ。
痛みが取れた実感。
この時の感動は素晴らしかった。
やっぱり痛みがあるということは、どこかに歪みや偏りが起こるということ。その偏りが不要なものと必要なものがあり、不要な偏りを除くと体は楽になるのだという体感的学びとなった。

痛みを引きづり横浜出張へ。

騙し騙し、自分の体の歪みにアプローチしながらも、
痛み止めの薬を飲みながら、
運動制限をしながら、
なんとかこなしている日々のヨガクラス。
高野山合宿が終わった翌週は、日本最大のヨガイベントへ。

こんな体で大きなイベントクラスに出演させていただくことに対し、
お声をかけていただいたイベント主催の方へ、申し訳ない思いを感じ
辞退も考えだしていた1週間前。
でも、ありがたいことにクラスをサポートくださる仲間もいて、
普段のクラスにて、言葉だけの動作誘導でも何とか伝えるものがあると確認もでき、大変恐縮ながらこの体のまま横浜へ行こうと決意。
なるようにしかならない気持ち。
いや、なるようになれって感じ。

それでも。出張前にちょっと楽になりたかった。
あの、触れない奇跡の施術が新大阪駅前にいる。
ちょうど行ける。
その時には、20mほど歩くだけで、臀部に強い拘縮のような痛みが起こり、時折座り込むような状態。
ここで奇跡が起きれば、、、なんて期待を大にしている自分。
施術後、、、今回ばかりはちょっと違うのか。。と
痛い臀部を抱えながら新幹線に乗り込んだ。

横浜到着日は、いろいろな先生のクラスに参加。
運動量の無い、基本座学と思われるクラスへ参加。
とはいえ、歩行の移動はある。
いかんせん会場が広い。辛い。
初日を終え、自分のクラスの構成を考える上で、やっぱり必要だと感じ、急遽レジメを作成し始める。あの時の集中力は自分でも素晴らしかった。

最寄りのホテルをとっていたから移動は何とか電車で1駅。しかし駅が広い!
レジメに目処をつけ、夜ご飯を食べに出た。適当に歩きながら、フィーリングで入ったお店に、あの中華の鉄人の大きな写真が!
横浜で中華。思いがけない本場感を堪能。
いやー、明日も頑張ろうと立ち上がるにも、
あれれれ、、、立てない。
歩けない。
伝い歩きでなんとかレジへ。

横浜の繁華街。本当に両方の臀筋と仙骨がカチコチに固まり始め、どうにも歩けない。
5歩あるいて立ち止まり、を繰り返し、腰と膝が曲がった変なチョンんまげ頭ががホテルに何とか到着しベットへ落ち込んだ。
翌日はイベントクラス。ちょっとは身だしなみを整えなければと、シャワーへ髭を剃りに立とうとしても痛くて立てない。。
もう、このまま寝ようと決めたが、、痛くて寝れない。

朝だ、たぶん。

痛い。
移動も無理だ。
今日は無理だ。
申し訳ないけどキャンセルさせてもらおう。

と、本当に諦めながら飲んだロキソニン。

薬が効いたのか、諦めたら気持ちが軽くなったのか、何なのか、、よくわからない内に、ちょっとづつは歩くことができるようになった。
徒歩で無事に会場到着。キンコーズでレジメを印刷。
会いたかった湘南の女神に腰痛対策のマッサージを授かり。
再び歩き出せた。

クラスの満足度はお客様しか分からない。
私に至っては、少ない人数に広々のレッスン会場を歩いて参加者さんの近くへ寄ってくだけでもフラフラ。
片足を引きづり、痛みに苛み、それでもクラス終了。
あぁ、終わった。
その後、会場内にある人工芝にてゴロン。もう無理だ。動けない。

横浜から そして再びMRIへ

ある程度の達成感を抱えつつ、足も引きづりつつ、到着した新横浜駅のホームは新幹線の遅れの影響でごった返す人、人、人。
座るところなんてない。
体も大きく、半ズボンの私。日焼けもしてるし一見したら健康体かそれ以上の体躯。
だれもベンチなんて譲ってはくれない。
眉毛をハの字にして、
欲しそうな顔を向けてもダメだった。

新幹線で座ることができた瞬間の体の「よろこび」を忘れない。

しかし、新大阪から自宅へはこれもまた一苦労。

予定よりも1時間以上おそくなった帰宅。
痛みと眠気に包まれた夜。
翌日は休み。

よし、なんとか月末を乗り切るぞ。
痛みは薬でなんとかなる。
だって大したことないヘルニアなんだから。。。

と、迎えた9月最後のイベント。ハンデキャップヨガクラスとBBQ。
愛をたっぷり振りまいて、大好きな人たちとのクラスを堪能したら、、


ついに歩けなくなり。
ハンディキャッパーとなり。
車椅子で車へ移動。
車椅子が動き出した時、「もう歩かなくて良いんだ。。」という泣きそうになった気持ちが湧いてきたのを覚えてる。


次の日の、朝からもう一度整形外科へ行くと心に誓い。
就寝。

そして大きな病院へ

朝一、まだオープン前の整形外科の扉前。
開店時間を間違えての一番乗り。
でも、ぞくぞくと奥様たちが入ってくる。
クリニックの扉は開かない。
エレベータホール前に人が溜まる。
あ、せっかく一番に来たのに。。
扉があいたら、続々と奥様たちが受付に向かう。
我先にと、、、。

ちょっと待つ時間。。
ようやく、診察室にはいるなり、私の様子を一目。
MRIもう一度行ってきて。と、期待通りの言葉。
すぐに予約、撮影、そして受診。
・椎間板ヘルニアの進行
・腰椎滑り症
・黄色靭帯肥大
などなど、なかなかの進み具合。

「紹介状を書きます」と、速やかな対応。
「脊椎専門の外科がある大きな病院へ行った方が良いです。」
とのこと。

翌々日。
受診。

「うーん。必ずしも手術が必要という状態でもないです。数ヶ月でヘルニアは治っていくことがあります。ただしその間は今の症状のまま対処していく必要があります。」
「ただ、手術すれば、今の”痛み”についての軽減は相当期待はできます。」
「足の痺れや麻痺については、神経の損傷の具合と回復によるのではっきりとしたことは言えないですが、神経の圧迫を除くのは早い方がいいと思います。」

週末に外ヨガの主催イベントもあるし、
この日は1週間様子を見るということにした。

確かに、足の痛みや背中の痛みは減ってきているようにも感じる。
松葉杖で随分歩ける距離が伸びている。
このまま、1週間で自分なりに
「手術はしないでも何とかなりそうだ」という自信を感じられるまでの回復、とくに左足先の麻痺についての改善があれば保存療法を選ぼう。と決めた。

何とかイベントは終了出来た。
たくさんの人に腰に触れてもらえた。
荷物を運ぶのも、本当に皆に助けてもらった。そして、
1週たった。
痛みは正直変わらない。麻痺はある。
痛みの起こり方に慣れてきたのかもしれない。
心では80%手術に傾いていた。
まだ週末に大事なイベントも控えてる。

悩みながら
そのまま受診。
手術するならここしか無い。という日程(10月17日)に手術室の空きがあった。

10月26、27日には大切な大切なイベントがある。

切るなら、ここしかない。

イベントの準備はとにかくみんなに任せてしまってるが、当日は役に立ちたい。何よりもあのイベントが大切で大好きだ。だから、あの場所に立つにはこの日に手術するしかない。。間に合わせたい。
と、切ることを選択。

入院そして手術


手術前日に入院。
多少腰は痛いものの、数日前まではいつも通り、痛みをかばいながらもヨガの指導をしていた。
元気なまま病院にいるのは何だか気まずい感じ。
そして、この病院、看護師さんたちがかなりホスピタリティーが高い。
みんなとにかく親切で、声が寄り添いに長けている。
なんか、王様になってしまう気分。
こうして見ていると、看護師さんの仕事は大変だ。
食事を運び、体調を管理して、薬を管理して、緊急に呼び出され、体を洗ってくれ、ベットメイクをして、悩みを聞き、不定愁訴に真摯に向き合い、励まし、寄り添う。そして、この病院のスタッフは明るい。

手術当日。
バタバタっと手術台に乗せられ、あっという間に睡眠の世界へ。
気がつき、目を覚ましたら、「こんなん出ましたよ〜」と先生がおそらく私の元椎間板であるものを見せてくれたが、ぼーっとした認知のまま。
体に4つの管が刺さって寝転んでいた。
痛いというか、気持ち悪い。
背中からの手術だったようで、どうにも背中が気持ち悪い。
足の痺れや麻痺はよくわからない。
喉が痛い。声が出し難い。
寝返りをしたいけど、できないし、管が外れるのではと怖い。
この手術思ってたより、大げさだった。
内視鏡の手術って、虫歯の手術とか、ちょっとイボを取る程度かと思ってた。
なんか、急に重症者になった。
寝たきり。2〜3時間に必ず看護師さんが様子を見に来る。
「大丈夫ですか〜〜〜?」って。

何に対する「大丈夫」なのかに疑問を持ちつつも、
さしたる不都合?をこの状況では感じていないので
「はい」と答えるしかなかったが、
一番困ったのは、トイレに行けないこと。
おしっこは管が入ってるから勝手に出てるらしい。
大きい方は、ベット上ではやりたくない。ゼッタイに。
25年ほど前、交通事故で入院したとき、
右足脛骨骨折で3週間ほど入院。10日ほどは安静。
その時、ベットの上で洗面器みたいなやつにしたことがある。
自分で処理もできず、看護師さんにお願いしないといけなかった。
あの思いは絶対に嫌だった。
こんなに良くしてくれる看護師さんたちに、これ以上迷惑かけたくないし、恥ずかしい。

だから、絶食を決めた。
トイレに行けるまでは食べない。

「そんな人多いですよ」
って、看護師さん。
まぁ、みんな同じこと思うな。

術後1日目


血抜きの管はついたまま、通常病棟に移動した。
そして気持ちわるい感触とともに
尿管はぬけた。

午後リハビリの先生がきた。
足の動きを確認。
やっぱり麻痺は変わってない。
ちょっとした落胆を感じた。
座る練習と立つ練習をした。
なかなかの怖さがある。
背中の手術後がちょっと痛い。
穴が開くんじゃないか?という 小学生並みの恐怖感を感じる。
立ってみる。
歩行器使って歩いてみる。
やっぱりまだ左が動かない。

術後2日目

午前中に背中の血抜きの管をぬいてもらった。
これがまた気持ち悪い。
中国鍼を打った時の、ビリビリビリと強い痺れが来た時のような感じ。
でも、背中に管がないのは軽快だ。
そして、リハビリ。
この力の入り難い状況をどうするか。。
そればかりを心配している自分に気が付く。

もうちょっと別のことに意識を向けてみようかな。

動くところ、弱いところ、硬いところを動くように。
感じないところの歯痒さがどうにもストレスとなって体と呼吸を硬くしている。
これは、、、良い体験になる。
辛いけど。正直悔しい。今は。
でも、よくなる方向しかないだろう。と今は信じるしかない。

術後3日目

日曜日になるのでリハビリも自分で。
やりすぎてちょっと膝が痛い。
自重が難しいということか私は。

なので、こうして今日までのことをちょっと記録しておこうとPCを触っている。かれこれ2時間になるかな。
この座位姿勢も腰に悪い気がする。

さて、午後のセルフリハビリをやりましょうかね。

術後4日目
毎日変わる担当看護師さん。男性だったり女性だったり。
みんないい感じの人ばかりだ。

さて、リハビリ。
この病院に30年以上勤めている部長さんが担当。
手術の前、最初の受診日に松葉杖を借りた時にもお話しした人。
症状を覚えてくれていて、あれから今日までの変化を客観的に伝えてくれた。痛みが減った分、姿勢が伸びてはいるけれど、左足に体重をかける際に、怖がっているか、力が入っていないね。ということで、その対策をいろいろとトレーニング。
まぁ、この麻痺。。
力が入っている実感がない。ただ、入っていない訳ではないらしい。
だから、ちょっとづつ動きを客観視と実感を自分で高めてく必要があるらしいが、これがとにかく涙がでるほど歯痒い。そして辛い。
力が弱いのではなくて、力が判らないということが、これほど悲しく虚しく、辛いのか。。
そうか、今までのヨガの指導で、、こうした方へ「さあ、力を入れて!」なんて言っていたことを沢山思い出して、肩を落とした。

とはいえ、力が入っていない訳ではないということに希望を感じ、数ヶ月〜年単位での長さでの回復を目指すことができる。
回復を目指せるという「光」を感じた。

さて、ある程度のリハビリのコツを指導してもらい、あとはセルフで。。

久しぶりのシャワーを浴びて、お昼ご飯。

で、今。

術後4日目

退院の日が決まった。土日もはさみ術後6日目の退院となりました。
ヘルニアの「痛み」だけで考えたら、もうすっかりない。
何が、どう痛かったんかも
どれくらいつらい日々だったのかも、
未来が真っ暗になったと感じたあの日の感覚も、
すっかり忘れてしまうほどに、
痛みは消えた。

人間、痛みが消えると、その苦しかったことを忘れるようになってる。
上手くできた脳みそだ。
たしかに、ずっと痛みを記憶するほどしんどいことはない。
ただ、あの痛みを教訓としてこれからの日々を改善していくのであれば、
もう少しだけ、あの辛さを覚えておく仕組みがあってもいいと思う。
人は、忘れるから、変われない。
わかっちゃいるけど、やめられないのではなくて、
しんどく、辛いことを、すぐに忘れてしまうから、
ずっと同じことを繰り返してしまうのだろうな。

今日のリハビリ
左足の麻痺を中心に。
今の左足の状況は
・親指が握れない
・底屈に力が入らない
・回内ができない
といった、足首の動き全般に歯痒さを感じるほど無力感がある。

・立位で膝屈曲が入りにくい
・股関節の外旋の力が入りにくい。

と言う訳でヨガアサナに例えると
・左足での片足立ちができない
・左足が前のランジのポーズができない
・左足を屈曲させたウォーリア2ができない
・左足を前にしたパールシュヴォッターナアサナが安定しない
・四つ這いの動作全般が安定しない

という状態です。
つまりは、上記のアサナの取り組みが私の症状に対するリハビリに繋がっていくのだと理解しました。
この先どうなっていくのかな。

術後5日目
入院最終日。
外科の先生も毎日見にきてくれて、「どうですか」と聞いてくださる。
やっぱり、毎日来てくれるというのは安心できる。しかも優しい。
背中の絆創膏?も外してくれて、すっかり体には何もない状態となりました。
傷口は綺麗だそう。
ただ、無理したら傷口が開くこともあるから無理はダメです、、、と。

これが難しいのよ!

何が無理?が、判らないのよ。いつも。
「無理しないでくださいね」
って、良く言われる生き方の私。

そして、無理が何かが判らないという私。

ま、怪我や痛みがまた教えてくれるかな。

お風呂はあと2週間入れない。
寒くなっていくけれども、シャワーのみ。
足湯は大丈夫。

リハビリでは、引き続き左足指、足首の動きと、
歩行練習。
まっすぐ歩いているつもりでも、ものすごい偏っているらしい。
左足股関節と足首に力が入らないのが理由。
杖を使いながら、背骨が立つようにあるく練習。
久しぶりに屋外へ。
病院一周。500mの旅。思ったより涼しいわ。
季節が変わったなぁ。。

というわけで、松葉杖1本となり明日退院。

夕方には最後のシャワー利用。

もうすぐ夜ご飯。17:30。

最後の就寝。
この天井ともお別れかぁ。

なんてこと考えてたら
地響きに近いイビキが新入り君の方向から。
かなりの音量と重低音。
一番の古株さんはたまらずナースコール。
「いびきやめて下さいとも言えないからねぇ」
と、一蹴され。
気がつけば、私以外のいびきの大合奏。

あ、私の退院祝いかな。

現在am1:00。





















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