焦らすな、そっとしてて
天才を見たとき、良いものに触れた時。
はたまた、ミュージシャンでも放送作家でも脚本家でも小説家でも、何かしらの表現者を目指す同年代の人が、自分より1歩でも夢に近づいているのを知った時。
なにものなのか分からない、灰色のような紺色のような、よく分からない存在が私を襲う。
その名も焦燥感。
才能なんて無いのはわかってる、と自分に言い聞かせているけれど、
本心ではどこかでもしかして才能があるんじゃないか、とか認められるんじゃないか、って期待している。
表に出たら才能がないことなんてすぐに分かってしまうから怖くて出れない卑怯者。
田舎の狭いコミュニティで、
周りよりたくさんの音楽を聴いてきたから。
周りよりたくさんの本を聴いてきたから。
周りよりたくさん面白いラジオを聴いて、みんなが知らない面白いもの、たくさん知ってるから。
そんな価値もない、根拠もない自信を一生持っている自分でいいのかな。
「文才がある」「語彙力に富んでる」
周りのお世辞や紛い物の褒め言葉に調子を乗り続けてはいけない。
いつか、わたしも本当の人になりたい。
「自分には周りと違った能力がある。でもそれが何かはまだ分からない。いつかは分かるはず。」
そう思ってしまうのだ。
何者かになりたい。
なれるか分からない。
何者かになりたいと思う他の人に置いてかれたくない。
思春期が生み出す焦燥感は恐ろしいものだ。
「人生って…生きることって、あのグミ・チョコ遊びだと思うの。
自分の出した手が相手を負かすことがあって、でもその手は必ず一番強いわけじゃなくて、
負かした相手の手より弱い手で負けちゃったり。
そうして勝ったり負けたりしているうちに、
いつの間にかくっきりと勝者と敗者とが分かれてしまうのよ。
生きてくって、そういうことなんだと思う。」
大槻ケンヂのグミチョコレートパインの登場人物、山口美甘子はそう言った。
人生がグミチョコパインなら、私はまだ3回連続グミな人生。
いつかチョキで買って誰かに追いつきたい。
大きな差をつけたい。
それが誰なのかさえ、今はまだわからないけどね。