相手を大切にするということ
私は基本的に友人に趣味の話をしません。
おすすめの映画や音楽、本を尋ねられた時や、「ありすぎて決められないよー」なんて言ってはぐらかします。自己紹介のときもそう。具体的な名前は出しません。
ここで勘違いされたくないのは、自分の好きなものを他人に教えず独り占めしたいからとか人と話すのがめんどくさいからとかではないということ。
独占欲もないし、お喋りは大好きな人間です。
では、なぜそんなふうな態度を取るか。
それは過去に趣味を笑われことがあるから。
中学の時に放送で流したジミヘンとビートルズとチープ・トリックを笑われたことをまだ引きずっています。
給食中に巻き起こった笑い声。「こんなのダサいやん誰が流してはるん?」と嘲笑う人。仲の良い友達もまさか私が流しているとは思ってもいないため、周りと同様に私が流した音楽を馬鹿にしていてクラス全員が敵のように見えました。
それ以降の中学生時代は完全に自分の趣味を自分の中だけに留めておく生活を送っていました。
高校生になって、私は比較的高偏差値のかなり落ち着いた校風の高校に進学しました。
そこでの友達はもちろん中学の時と同様に十人十色の性格を持ち合わせていました。
ただ、1つ違っていたのは、人のことを、人の好きなものを否定しないということ。
みんななんでもすぐに肯定します。彼ら彼女らの辞書には褒め言葉しか載っていないのかなと思ってしまう程に。
きっとそれは多くの人が周りの人に肯定されて育ってきたからではないでしょうか。
肯定することしか知らないようにも見えるくらい、人を肯定する文化がこの学校に根付いています。
アングラアングラサブカルサブカルしているわたしの趣味も受け入れて、「趣味楽しんでいていいね」「おすすめの物とか色々教えてよ」等々温かい言葉をたくさんかけてくれます。
そりゃ、わたしの趣味を好きになってくれる趣味仲間がいるわけではありません。
ただ、今までマイノリティで抑圧されてきた側の人間からすると、否定されないことの喜びや有り難さはかなり大きいものです。
最近気づいたのは、本当に自分が求めるべき人は趣味が合う人ではなく、趣味や好みが違っていても否定しない人、興味を持ってくれる人だということです。
よくよく振り返れば、今まで恋愛面でも友達としても私を大切にしてくれたのは、私の趣味を否定せず、興味を持ってくれた人です。
相手を大切にするということは、相手の好きなものを否定しないということが大前提になる気がします。