(浅井茂利著作集)長澤運輸事件最高裁判決と同一価値労働同一賃金
株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1630(2018年9月25日)掲載
金属労協政策企画局主査 浅井茂利
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2018年6月1日、注目されていた長澤運輸事件最高裁判決が下されました。
この判決に関しては、日本経済新聞が「定年後の雇用確保を考慮した最高裁判決」と題する社説を掲げ、「定年後の賃金を減額して企業が雇用を確保している現実に沿った判断といえる」と評価しているように、一般的には、最高裁が定年後の再雇用者に対する賃金引き下げを容認したもの、と受け止められています。
たしかに、結論だけを表面的に見れば、そうしたことになるかもしれません。しかしながら、この事件はかなり特殊な要素があり、最高裁判決も「労働契約法20条の解釈、すなわち一般的規範の定立をあえて最小限とし、事案への当てはめで判断するという事例判断という手法をとった」(丸尾拓養弁護士)ということですから、この事件をリーディングケースとして、一般化するのではなく、2020年4月の働き方改革関連法の施行に向けて策定される「同一労働同一賃金ガイドライン」をより公正なものとしていくための討議素材のひとつとして受け止めることが必要なのではないでしょうか。
最高裁判決の重要な点
長澤運輸事件は、横浜市の長澤運輸に定年後の再雇用で勤務するトラックの乗務員(嘱託乗務員)3名が、定年前と同じ仕事にも関わらず賃金が2割引き下げられたのは不当であると訴えていたもので、一審の東京地裁は、会社に定年前と同水準の賃金支払いを命じていましたが、二審の東京高裁では、定年退職後の継続雇用において職務内容やその変更の範囲等が変わらないまま相当程度賃金を引き下げることは広く行われており、会社が嘱託乗務員について正社員との賃金の差額を縮める努力をしたこと等からすれば、嘱託乗務員らの賃金が定年退職前より2割前後減額されたことをもって直ちに不合理であるとはいえず、嘱託乗務員と正社員との賃金に関する労働条件の相違が労働契約法20条に違反するということはできない、として嘱託乗務員側の逆転敗訴としていました。
最高裁判決については細かくご紹介はしませんが、重要な点は次のようなところだと思います。
①嘱託乗務員と正社員とで、業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度に違いはなく、業務の都合により配置転換等を命じられることがある点でも違いはないとしても、
②労働契約法20条は、有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理か否かを判断する際に考慮する事情として、「その他の事情」を挙げており、職務内容や変更範囲などだけで判断するわけではない。
③定年制は、長期雇用や年功的処遇を前提としながら、人事を刷新し、賃金コストを一定限度に抑制するための制度である。定年制の下での無期契約労働者の賃金体系は、長期間雇用することを前提に定められたものであることが少なくないが、再雇用者を長期間雇用することは通常予定されていない。
④再雇用者は無期契約労働者として賃金の支給を受けてきた者であり、老齢厚生年金の支給も予定されている。
⑤そうすると、再雇用者であるということは、有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理か否かを判断する際に考慮する「その他の事情」にあたる。
⑥不合理か否かを判断する際には、有期契約労働者と無期契約労働者の賃金の総額を比較するだけでなく、賃金項目の趣旨を個別に考慮すべきである。
⑦嘱託乗務員に賞与(一時金)が支給されていない点については、再雇用者であること、退職金が支給されていること、老齢厚生年金の支給が予定されていること、それまでは調整給の支給を受けること、年収は定年退職前の79%程度となること、などから、不合理とは言えない。
そもそもなぜ定年制が容認されるのか
定年後の再雇用者の賃金引き下げについて考える前に、いわば年齢による差別と言える定年制がなぜ容認されるのかという点について、確認しておく必要があります。最高裁の判断が、秋北バス事件判決(1968年12月25日)において、次のように示されています。
およそ停年制は、一般に、老年労働者にあつては当該業種又は職種に要求される労働の適格性が逓減するにかかわらず、給与が却つて逓増するところから、人事の刷新・経営の改善等、企業の組織および運営の適正化のために行なわれるものであつて、一般的にいつて、不合理な制度ということはできず
これについて、菅野和夫『労働法(第11版)』では、以下のように説明されていますので、少し長くなりますが、ご紹介したいと思います。
*定年制は、従業員(正社員)の雇用尊重を最優先課題とし、かつ年功による処遇(賃金・昇進)を基本とするわが国企業の長期雇用システムにおいて、年功による昇進秩序を維持し、かつ賃金コストを一定限度に抑制するための不可欠の制度として機能してきた。
*したがって、定年を一要素とする長期雇用システムにおける雇用保障機能と年功的処遇機能が基本的に維持されているかぎり、同制度はそれなりの合理性を有するのであって、公序良俗違反にはあたらない。
*近年においては、企業における年功的処遇は、定年延長による賃金カーブ・昇進秩序の修正や、能力・成果主義の賃金・処遇制度によって相当に修正されてきたが、それでも、制度上ないし運用上、なお根強く広範な企業において存続している。
*定年制は、なお労働者にとってメリットを伴う制度として法的に有効といえる。
すなわち、雇用保障機能と年功的処遇機能が、定年制を容認するための不可欠な要件ということになります。菅野『労働法』では、いわゆる成果主義の賃金・処遇制度であっても、年功的処遇は制度上ないし運用上、なお根強く存続しているとしていますが、新興企業や外資系企業などを中心に、年功的処遇の要素がないところも、いまや少なくありません。
こうした場合、もし定年制が採用されているとすれば、公序良俗違反ということになるはずです。
また若年層では年齢・勤続に伴って昇給していても、40代になると、相当に優秀と査定された一部の者以外は昇給しないような制度を採用している場合には、もはや年功的処遇とは言えず、秋北バス事件最高裁判決でいうところの、「老年労働者にあっては当該業種又は職種に要求される労働の適格性が逓減するにかかわらず、給与が却って逓増する」という要件を満たしていないことになりますから、定年制は不合理な制度と言わざるを得ないでしょう。
長澤運輸の場合、正社員に適用される賃金項目のうち、在職41年目まで昇給する在籍給と、50歳まで昇給する年齢給とがありますので、年功的な要素がないとは言えませんが、このふたつを足した金額は、最少額の者が89,100円なのに対し、最高額の者でも127,100円に止まり、その差は38,000円に過ぎませんので、定年制を合理的とするほどの年功的処遇であるかどうかは、きわめて疑問です。
たとえ有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理か否かを判断する際の「その他の事情」として、再雇用者かどうかが考慮されるにしても、そもそも定年制が不合理であるとすれば、当然、再雇用制度における労働条件の相違も不合理になると思います。
定年までの賃金総額と貢献の累積は、見合っているはずである
また、再雇用者かどうかが「その他の事情」にあたるとしても、そのことは、必ずしも再雇用者の賃金引き下げを容認する理屈にはならないと思います。
入社以来定年までの、退職金を含めた賃金総額は、入社以来定年までの貢献の累積に見合ったものとなっているはずです。従って、定年後の再雇用者の賃金は、定年後の貢献に見合ったものにすればよいだけです。もし定年到達時点の賃金水準が、その時点の(短期的な)貢献を上回っているのであれば、その分の引き下げはやむなしということになりますが、定年時の賃金水準と短期的な貢献とが見合っているのなら、賃金引き下げは容認されるべきではありませんし、場合によっては、前述のように、定年制そのものが不合理ということになります。
賃金総額と個別賃金項目
長澤運輸事件の判決では、有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理か否かを判断するに際し、「賃金の総額を比較することのみによるのではなく、当該賃金項目の趣旨を個別に考慮すべき」としています。これ自体は当然のことで、後述する「同一労働同一賃金ガイドライン案」の考え方に沿ったものと言えますが、判決では、それが徹底されていないように見受けられます。
長澤運輸では嘱託乗務員に一時金が支給されていないのですが、最高裁判決では、
①定年後の再雇用者であること。
②退職金が支給されていること。
③老齢厚生年金の支給が予定されており、それまでは調整給の支給を受けること。
④年収は定年退職前の79%程度となること。
を理由に、一時金不支給を容認しています。再雇用者であることを理由に挙げているのは、まったく問題外ですが、それだけではありません。
賃金総額を比較するのみでなく、賃金項目を個別に考慮すべきと言っているのに、年収が定年退職前の79%程度となることを理由に、一時金不支給を容認するのはきわめて疑問と言わざるを得ません。
また、退職金はあくまで賃金の後払いですから、定年後の再雇用者の賃金とは何ら関わりがないはずです。
老齢厚生年金の支給を一時金不支給の理由に挙げているのも、実に奇妙です。再雇用者の賃金は、正社員との同一価値労働同一賃金の原則に則った、定年後の貢献に見合った賃金でなくてはならないはずで、老齢厚生年金はそれとは何ら関係がありません。
率直に言えば、再雇用者を労働力としてではなく、企業に何ら貢献していないお荷物、定年後の生計費は本来公的年金で賄うべきなのだが、年金財政の悪化で仕方なく企業が肩代わりしている、というような潜在的な意識があるために、こうした発想になってしまうのだと思います。この点に関しては、「同一労働同一賃金ガイドライン」にも反映されてしまう危険性が大きいので、十分な注意が必要です。
不合理な待遇差解消は、「同一価値労働同一賃金」の原則で
長澤運輸事件は、短時間・有期雇用労働者と正社員との不合理な待遇差を解消するための規定の整備などが盛り込まれた、働き方改革関連法案が国会で審議されている中での判決となりました。また、その具体化を図るための「同一労働同一賃金ガイドライン」についても、すでに政府案が示されています。こうしたことから、「労働契約法20条の解釈、すなわち一般的規範の定立をあえて最小限とし」た判決になったのだろうと思います。
6月末に同法案が成立し、2020年4月の施行に向け、ガイドラインの詰めが行われていくことになりますが、同一価値の職務遂行能力を必要とする労働に対して、同一賃金を適用していく「同一価値労働同一賃金」の原則に則った正社員と短時間・有期雇用労働者との均等・均衡待遇の実現に向け、根本に立ち返った議論が不可欠だと思います。