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この世をば

 実は毎週日曜の大河ドラマ「光る君へ」をとても楽しみにしている。『源氏物語』を書いた紫式部と藤原道長が主役のドラマだからだ。高校二年生の古典の授業で『大鏡』という歴史物語を読むのだが、「弓争い」「花山院の出家」などの話はちょうどドラマと重なってくる。また、三年生の古典では『源氏物語』の「桐壺」の巻を読む。平安時代の宮廷社会がどのようなものであったかがわかるので、高校生にもドラマ見てねと宣伝をしているのだ。

 ドラマでは紫式部の人物像がリアルに描かれているが、実際はどのような人だったのか、あまり詳しく分かっていないようである。道長の方は日本史の教科書に載っている有名人だが、やはりその人柄や人生観は史実から推測するしかない。
 千年以上の時を経て読み継がれる物語を書いた紫式部と、その才能を見出した、時の権力者藤原道長がどのような人だったのかを知りたいと思うのは私だけだろうか。いや、知りたいと思って歴史小説を書いてくださった永井路子という作家がいる。「平安時代の寵児・藤原道長の生涯を通して、王朝の貴族社会を描いた傑作歴史小説」と文庫版で紹介されている『この世をば』がその作品だ。今から四十年前に世に出た作品で、たしか大学生の頃、新潮文庫の上下二冊を夢中になって読んだ覚えがある。成城学園に赴任して二、三年後『読書のすすめ』でこの本をすでにおすすめしている。それからあっという間に三十年。ふらりと立ち寄った書店に朝日新聞出版の『この世をば』が積まれているではないか。ついつい懐かしくなって購入してしまった。大河ドラマとのタイアップ商法にまんまと引っかかってしまった形だ。ただ、三十年以上前に読んだ時とは違った新たな発見があった。それは、日本人の価値観や政治のしくみ、しきたりが良くも悪しくも今に引き継がれ、今の私たちの社会を形作っているということだ。政治家の世襲や女性官僚の少なさ。一般人の精神性に根強く影響し続ける慣習。グローバル社会で生き残っていくために何かを変えなければならないはずなのに日本がなかなか変われないのは外戚政治の旨味と呪縛から逃れられないからではないか。なんてことを考えたのだった。
 また、平安京ではとにかく火事が多発した。作品の中でも宮中で火が燃え広がり、天皇や高貴な女性たちまでもが避難なさる場面が描かれている。また、疫病が流行し、政治の要職にあった者たちも次々と犠牲になった。私たちも大地震やコロナ禍を経験し、日本中が暗く沈鬱な時代を今やっと抜け出た所だ。無常観という言葉がある。「日常はずっと続くわけではないのだよ」ということだ。だからといって平安朝の人々は暗く沈んでばかりいた
のではない。焼け跡にまた新しい家を建て、新しい命に未来を夢見て、淡々と、かつ情熱を持って今を生きていたのだろう。

 この世をば わが世とぞ思ふ 望月のけたることもなしと思へば

 この歌だけを見ると、道長という人物はとてつもなく出世欲が強く、傲慢な権力者だったのではないかと思うだろう。しかし永井路子の描く道長はなんともかわいらしいお人なのだ。この印象は二度目も変わらなかった。ちょっと分厚い文庫だが挑戦してみてほしい。平安時代の寵児を身近に感じられることだろう。

おすすめ図書
『この世をば』(上・下) 永井路子 朝日新聞出版

筆者:国語科教諭