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小説の性描写はどうなっている?

今回のシックスティ・イン・ブルーには性行為の描写がけっこう出てくるのですが、行為をポルノやアダルト作品のように描く事はしませんでした。ただ、今後も書くかどうかわからないのですが、他の方がどう書いているか研究してみたいと思いました。noteで検索すると何か出てくるでしょうか?これからちょっと検索してサンプル採取しておこうと思います。

こちらはnoteのクリエイターではなくてカフカですが、行為に及んでいる二人の温度差がよく表現されていて面白いです。二人で一つの行為をしている時に両者が全く心まで溶け合ってしまっていると考えるのは確かに書き手の身勝手になってしまいますね。ありがとうございます。

こちらもカフカですが、こちらは性行為そのものは書かれていませんが、あった事がわかります。素晴らしいですね。

これはとても面白い視点から書かれていますね。このお話の中ではセックスは道具として使われていて実は主人公と母親の関係を書いています。素晴らしいですね。

これは小説じゃないのかもしれませんが、書き手の複雑な気持ちがよく表されています。全てが書き手側からの心象風景のようで、相手側が実際どう考えているかは書き手の言葉から透けて見えるだけです。良いですね。(他の記事を読むとネタバレになりそうなのでこれで止めておきたい。)ありがとうございます。

こちらは表現というのとは別方面ですが、面白い文章です。

ここで早くも挫折しました。なぜなら、noteで性描写やセックスシーンを検索するとそれ自体の表現を目的とした文章が多く、性描写を要素の一つとして書かれている文章を探すのが困難だと知ったからです。探せばあるのでしょうが、断熱します。

そこで、普通のGoogle検索しました。このあたりがまとまって良さそうです。

この中のいくつかはずっと前に読んだことがあったはずですが、よく覚えていませんでした。

筒井康隆という作家は…何でもありって感じですね。もうやり放題。これは文章自体がエンターテイメントだからでしょうね。

眼球譚」なんかはやっぱり最高ですね。子供が思いも寄らない事を口走るのはよくありますが、考えてみれば子供の心はボーダレスですし、平気でウンチ、オシッコに加えてエッチなところまで暴走します。私もずっとずっと昔になってしまいますが、幼稚園の砂場で女の子が見せてはいけないところを見せていたのを覚えています。女の子はそれがいけない事とは思っていなかったでしょうけれど、それがどういう気持ちからそうしていたのかはわかりません。不思議です。 参考↓

ミクマリ」は、ちょっと興味深いです。心を通わせない性行為が心の繋がりの方は移っていくというところ、読んではいないのですが、どうしてそうなるのか、それをどのように書いているのかに興味があります。今回私が書いた物も愛の無い興味だけの性行為がいくつも出てきます。現実の中では本人たちはそれを適当に処理してしまうのですが、文章では読者が納得しないといけませんのでちょっと違うと思っています。

ノルウェイの森」は性描写というより、「セックスをした」とさらりと書いている感じに近いです。描写だけからですとどことなくピクトグラムのセックスを描いた感じすらします。この場合は行為そのものではなくてシーンは二人が深い関係になっていく過程を描いていると言ったら良いように考えられます。つまり、少し範囲を広げて読めば二人がそうせざるを得なくなった理由の方に焦点があるのです。

人のセックスを笑うな」は表現がポルノにならないようにしていて、直接その物の名称も書いていません。それより会話の方が面白く書かれているのが良いです。二人の関係がよく伝わります。

三島由紀夫、川端康成はもう書く事においては職人という感じがします。これはちょっと全文読まないといけませんね。

痴人の愛」は一人称で書かれていて完全に主観で性の周辺をぐるぐるしている感じがよく出ています。相手の背中を見てその本人よりも自分がよく知っていると言い、その後でそれを自分勝手に定義付けてさえいるという内面的身勝手さ。これはもうさすがとしか言いようがありません。参考になりますね。

性的人間」これも面白いですね。文字になっている部分は人間社会の秩序のようなものが途切れ途切れになって快楽に侵されていくようです。世の中には常識的で偉そうでまともそうな人がたくさんスーツを着ていますが、スーツを脱がして裸にしてしまえば本当はこうなんだよ、みたいな風刺的な文章なのかな?と感じました。

今はこれ位にして、これからもいろいろ研究していきたいと思います。

ところで私の書いた物の方ですが、これもいろいろな意図で性描写が多く入っています。ちょっとピックアップ。

1)英子が高齢の男性の大事な部分を洗うシーンがあります。英子は男性の事をそれほど知らないので相手の反応の意味がよくわかりません。仕方ないので家に帰って旦那を相手に復習して確認したり予習したりします。この時、英子には性的な欲求があってしていませんので相手との気持ちの温度差はかなり大きいです。ですが、次第に高齢の男性のしている事の意味を理解するにつれ、自分が相手に対して確かに女なのだと感じる事になります。でもそれがわかった時には既に・・・
ちょっと滑稽でもありますが、相手の事を理解するのに性的な行為が介在したという意味です。
この時の描写は英子が手指を使って男性を冷静に扱う様子が主です。

2)茉莉は高校生の時に初めて男性とその行為に及びますが、茉莉はもちろん興味はありましたが行為については自分がそれによって変わってしまうような事は無いのだ、自分はいつでも自分なのだと証明したかったのです。ですが、実際にそうなった時にそうでなかったことがわかってしまいます。
この部分は単にそれだけの意味ではなくて、父親との関係が変わったきっかけを示しています。
この描写は茉莉がただされる側横たわっていて終わるのを待っている形です。すれ違った女が男の手を引いて積極的にホテルの部屋に消えるのと対照的で、茉莉にはその意味がわかりません。

3)康代は職場で親しくなり後には結婚するだろうと考えていた男性と初めて性行為をすることになります。康代は性行為を「受け入れる」事が二人の次のステップにつながると考えていました。けれど、相手を別の女に奪われた事でそれがそうではなかったと知ってしまい、その後ずっと心の傷になって残っています。それが長期間の後に康代をある行動に駆り立てます。

4)主人公のタカオと恵子は再開した時に、ずっと以前に性行為をした後に関係が終わってしまったところから復習するようにやり直します。また、お互いの配偶者を亡くしていますのでそのやり方を相手に求める事もしています。このあたりは視線の動きのような割と細かいところまで書いています。彼らは自分が普通に恋愛してはいないのになぜそうして惹かれ合っているのかがわかりません。その答えはネタバレになってしまうのでここには書きませんが。

5)秋絵はタカオを身体で誘惑します。秋絵にはそうしなければいけない内的な欲求があります。秋絵はそうしたやり方で男性を誘惑する事を自分自身で止められません。タオルを1枚だけ巻いてタカオを誘惑している間に自分自身の身体にも女らしい反応が出てきてしまいます。ただ、タカオは最後の最後にそれを拒否する事になります。そこにはタカオのそうせねばならない理由があるからです。
 タカオは秋絵を拒否しますが、男の身体の中にはもう一人の別の自分がいて闘いが繰り広げられていました。わかりますよね?人は裁判官や警察官のような精神で生きてはいません。


というわけで、今日はここまで。
ご興味ありましたらとりあえず見てみてください。

追記
タイトル画ですが、canvaで思ったような船のイラストが見つからなかったので四角形と三角形に波形を合わせてテキトーに作りました。短時間でやったのでこれで船らしいのかどうかわかりません。お許しを。

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