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「私たちの心が実現できると知っているもっと美しい世界」 イニシエーション (第36章)

本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。

ある男性が世界を描くために旅立ちました。歳月を経るにつれて、彼は地方、王国、山、港湾、船、島、魚、部屋、楽器、星、馬、そして個人のイメージで空間をつくりあげていきます。死ぬ少し前に、彼は不変の迷路のような線が、彼自身の顔の輪郭をなぞっていることに気づくのです。
-ホルヘ・ルイス・ボルヘス

 けれども、私たちは到達するのでしょうか?他の多くの問いと同じように、証拠と理性だけでは、信じることを正確に決めるためには不十分だとしたら、特にその答えが他のすべて、自己と世界に関する私たちの基本的な物語さえも巻き込むときに、私たちはその問いにどのように答えるのでしょうか?私は先に答えを提示しました。自分が立つ物語を選ぶというものです。


 どのように選ぶのでしょうか?理性、論理、証拠がいかに簡単にストーリーのために徴用されるかを考えると、あなたは何を信じるのでしょうか?ここに代案があります。本当のあなた、そうありたいと願うあなた、実際にそうなりつつあるあなたを最も統合している物語を選ぶということです。


 「私たちは到達できるのでしょうか?」という問いがもたらす無力感の霧の向こうに、私たちの選ぶ力、創造する力への扉があるのです。なぜならその扉にはもう一つの問い、「私は何者なのか?」という真の問いが書かれているからです。


 絶望は、何が実現可能だと私たちが信じるかを生み出している、その絶望の下にある物語と同じくらいしか有効ではありません。その下にある物語とは、「自己の物語」なのです。では、あなたは誰なのでしょうか?他者たちから成る世界では、あなたは別個の、離れ離れの個人なのでしょうか?それともあなたは、特定の注目点に向かって収束している、すべての人間関係の総体なのでしょうか?証拠を見つけることで、この問いに答えられるという幻想に終わりをもたらしましょう。超能力現象や前世退行に関する本をもう一冊読むことでは、あなたの内なる懐疑論者を満足させられはしないのです。どれだけ証拠があっても足ることはないのです。証拠がなくとも、あなたは選ぶしかないのです。あなたは何者ですか?

 神秘主義者たちは何千年もの間、私たちにふたつの答えを提示してきました。一つには、お金、人間関係、手足、言語など、あなたを世界とつなぐすべてを取り除いてもなお、「あなた」である何かが残っているということです。私はこれではない。あれでもない。すべてを差し引いた何かとは無なのです。ですから、最初の答えとは「あなたは無です」というものです。しかし、そこに到達すると、無は無なのではなく、すべてであることがわかります。すべての事象は虚空から生まれており、真空量子の一粒は10億個の太陽のエネルギーを持っているのです。


 ですから、ふたつ目の答えは、あなたがすべてであるということです。ほんの小さな関係でさえも取り去ってしまえば、あなたが減じられます。一つの関係が加えられれば、あなたが増大します。この宇宙の中のどのような存在を変えても、あなたもまた変わってしまうのです。それゆえ、あなたはすべてなのです。つまりあなたは、それぞれの関係がすべてを含んでいる関係性の網の目なのです。


 それがインタービーイングに基づく自己です。「状況」を取り除いてしまえば、あなたのアテンションは私のアテンションであり、すべての存在のアテンションなのです。私たちは同じ存在であり、異なる目を通して世界を眺めています。コメディアンのスワミ・ビヨンダナンダが言うように、「あなたはユニークな存在です、他のみんなと同じようにね!」ということです。


 存在の本質についてこれ以上語るつもりはありません。私がそれを語れば語るほど、それが真実ではなくなっていきます。その上、”あなた”が何であるか、私にわかるはずがありません。というわけで、過去数世紀にわたり、私たちが生きてきたさまざまな扮装の分離した自己は、自己についてあり得るいくつもの物語のうちの一つなのです、とだけ言っておきましょう。


 あなたは何者なのですか?どの物語、どの自分が本当の自分なのかという問い。それは客観的な問いではないのです。証拠を積み重ねても答えが出ないだけでなく、それに関する客観的な事実が存在しないのです。しかし、そこに真実があるのです。自分が何者であるかの真実は変化していくということが感じ取れるでしょうか?「分離」の自己であるあなたが、減少していっていることがわかるでしょうか?


 与えることを恐れ、奉仕することを恐れ、非人間的な力の被害者であり、そこにある敵対的な世界に影響を与えるには無力な分離の自己は、自分がその自己ではないことの証拠を求めているのと同様の自己なのです。政治の世界でも、科学の世界でさえも、どちらの側も自分が正しいとは証明できないのと同じように、「インタービーイングの物語」が真実であるとあなたに証明することはできません。確かな証明を頼みとすることは、古い物語の一部であり、客観性と呼ばれる物語の一部でもあります。あなたは選択しなければならないのですし、その選択から証明に逃げ込むことはもはやできないのです。これはあなたが直面するあらゆる問題に当てはまることです。どの考え方が真実なのか?「私は何者なのか?」という問いに対してはなおさらです。

 

 「もし私が、インタービーイングの自分となり、それが故に癒しが実現可能な世界の物語の中で生きることを選んだらどうなるだろうか?でも、自分が思い違いをしているだけだとしたら?」と裏切られた皮肉屋が言っているのがまだ聞こえますか?この問いかけが、「私たちは到達できるのでしょうか?」と同じエネルギーを持っていることにお気づきでしょうか?それは分離した自己の悲痛な叫びなのです。「もし自分が孤独だとしたら?私が与え、奉仕しても、この敵対的な世界では誰も、私に恩返しはしてくれず、私のことをケアしてくれないとしたら?」その結論はこうなるのです。「安全策を取ったほうがいい。自分の利益に気を配り、自分の安全を最大限確保した方がいい。」数十億もの人々が同じことを考え、それに基づいて行動しているのです。そうして、その物語へと集合的に没入しているのですから、その世界のイメージと確証を私たちは周りの世界の中につくりだしていることに気づけるでしょう。私たちはその証拠をつくりあげ、それを正当化するために物語の土台にそれを挿し入れるのです。


 新しい物語の中で生きることを選べば、同様の自己確認的なポジティブ・フィードバック・ループを経験することになります。異なる法則を持つ、違う世界に移住することになるのです。私はいつも、「全財産を手放しました、それから私の人生が魔法がかったようで信じられません」というような手紙を受け取ります。ニューエイジの指南役たちは、そのようなストーリーを知っていたり、欠乏感の刷り込みからの解放の結果を自ら体験したりして、人々にお金に関する考え方を変えるよう提唱することがあります。言うは易く、行うは難し。そのような考え方は、「私が何者であるか」を中心に据えた全体パターンである、より大きなモザイクの一部なのです。それが変化することで初めて、関連する考え方もそれにつれて変化し、新しい、もっと美しいパターンへと変ずるのです。しかし、「私が何者であるか」が変わらなければ、いくら「否定的であること」を避けようと努力しても、他の考え方をその自己や分離に沿ったものへと引き戻します。「否定的であること」は、自己と世界に関する私たちの最も基本的な神話の中に組み込まれているのです。


 究極的には、「インタービーイングの物語」に少しでも足を踏み入れない限り、個々の信念を変えることは不可能であり、世界に「分離」のイメージ以外のものを創造することも不可能なのです。あなたが何をしても、実際には本当の意味で役に立つことはないでしょう。たとえ「善人である」ために私利私欲に反対して闘ったとしても、あなたは(自分にも他人にも)善人であるように見せるという目的のために奉仕しているのであって、実際には他人や世界のために奉仕しているわけでないのです。ですから、善人であろうとすることをやめましょう。その代わりに、自分が誰であるかを選ぶのです。そこから生み出されるものは、隠れた虚栄心から達成するものより、はるかに大きな奉仕となるのです。それに加えて、「善人である」という私たちが部分的に意識している概念は、現状を永続させるために役立つ社会的適合やブルジョア道徳のメカニズムと絶望的に絡み合っています。それは、私たちが古い物語を不通にする大胆な行動をとることを抑制しています。この点で、私たちはサイコパスから学ぶべきことすらあるのかもしれません。


 もっと美しい世界に向けた効果的な行動はすべて、「私は何者なのか?」から生まれると言えるもう一つの理由は、この問いがもうひとつの問いを暗示しているからです。それは、「あなたは誰なのですか?」です。つまり、私たちは自分自身を見るのと同じレンズを通して他者を見るのです。他の人たちを、与えること、奉仕することを望むインタービーイングの存在として見ることで、他の人たちが自分自身をもそのように見ることができるような空間をホールドし、私たちはそれに応じてその人たちと関わります。一方、他者を利己的で分離した存在と見なせば、私たちはそれに応じて他者と関わり、力による駆け引きを用いて、敵対的な宇宙で孤独であるという物語へと他の人たちを押しやることになります。


 先に、アクティビストの戦術が、相手の世論に対する恐怖心や利益欲を利用することに基づいていて、実質的に相手に対して「あなたのことはわかっていますよ。あなたは利己的で堕落しているのです。正しいことをやりたがらないわけですから、私たちが強制するしかありません」と言っていると私は述べました。誰かについてそう信じるには、自分自身のこともそう信じなければなりません。たとえその人たちとは違って、自分自身はそれを克服していると自分に言い聞かせていたとしても。さらに、誰かをそう信じることで、私たちはそのストーリーをその人たちへと開き、その役割を果たすようにと招いています。彼らがその役割を果たすと、私たちは自分たちの戦術と彼らについての私たちの見立てに正当性があると感じるのです。しかし、新しい物語の中に立つと、同じダイナミズムが逆の効果をもたらします。私たちは、これまで敵対視していた人たちや、私たちがジャッジしたすべての人たちを含め、「私はあなたを知っています。あなたは、その神性を奉仕の中で表現したいと渇望している、気高い神聖な存在ですね。あなたも私と同じように、もっと美しい世界を創造するために自分のギフトを用いたいのですね。」と、周囲にいるすべての人たちを見るのです。


 私たちの多くは、新しい物語の中に独りで立つことはできません。そうすることが、インタービーイングの基本原則と矛盾するからです。もしあなたが私の一部であるならば、そうすると、もしあなたが「分離」の物語の中にいるのならば、私の一部もその中にいるのです。主は、私たちを古い物語の中に留めている多くの社会的、経済的な力が存在していることを知っておられます。奇跡や崩壊は、私たちを一時的に「分離」の世界の外へと突然至らせることができます。しかし、そこに留まるために、私たちの多くは助けを必要とします。これは私たち全員がお互いに与えることができるものです。ですから、私は悟りとはグループでの取り組みだと言うのです。

 「再会」への道には紆余曲折があります。ときにはヘアピンカーブによって、一歩一歩が目的地から私たちを遠ざけているように見せることもあるでしょう。こうした転回の場も、行き止まりや同じ道を通って戻ることも、すべてはインタービーイングという新たな領域を通っている道の一部です。その領域、それは私たちには馴染みがないものです。地図はほとんどなく、私たちは道の見方を学べていません。目に見えない道をたどり、その道を辿る術をお互いから学んでいるのです。そうするにつれて、その微かな印が見えるようになり、道が見えてくるのです。地図がなく、新しい物語のごく最初の段階では、それらの選択がどのように目的地へと至らせるかはわからないまま、それぞれの選択ポイントにおいて、ハートの羅針盤に導かれた直感に従うしかないのです。大抵、私たちの分離からの習性は、私たちの目に見えている古くて使い古された道へと私たちを迷い込ませます。迷路から抜け出すための古の足跡を目にするために、私たちは新しいビジョンを明らかにしなければなりません。ストーリーの背後にある真実、地形そのものを見なければなりません。


 私たちが歩いていると、目的地が隠れたり現れたりするのです。丘を登っていくと、そこにあるのです!どういうわけか、さすらいの旅は私を近くまで運んでくれました。渓谷を下り、道に迷い、正しい方向を探しながら、私が目にした目的地が本当に存在するのかを疑うようになりました。そういった時に、私は別の旅人に出会うのです。「ええ、私も目にしました」と彼は口にします。目に見えない道の歩き方について学んできたことを分かち合うのです。この領域に脚を踏み入れる者が増えるにつれて、こうした出会いはより頻繁に起こり、私たちの心が実現可能だと知っている、もっと美しい世界へと向かう道を共に見いだすのです。


 この道の途上でのよくある一つのパターンは、新しい領域への最初の冒険はしばらくの間は順調でも、直に人生が「本当にいいのか?ここで本当に生きていきたいのか、それがなりたい自分なのか?」と問う体験を与えてくるというものです。例えば、自分の心に従えば大丈夫だと信じて、経済的な安定をもたらしていた仕事を離れます。しかし、奇跡のような仕事は現れず、貯金は減り、「どうにかなるさ」という自信の背後に隠れていた恐怖が前面に出てくるのです。あなたは何者なのでしょうか、本当は?もしすべてが順調に進んでいたのなら、その問いに正面から向き合う必要はなかったのでしょう。本当の自分を明らかにするためには、時に厳しい選択を迫られることがあります。「もしも」の恐怖が現実になったり、あるいはそうなるであるかのように説得力があるように見えるのです。ある女性が私に、「もし私が自分が望むことのために立ち上がりはじめたら、夫が私の元から去ってしまうのではないかと恐れています」と言っていました。やがて、彼女はそうすることにしました。そして、彼女の夫は実際に去ったのです。今までのような生き方をやめれば、もしかしたら最悪の事態が訪れるのかもしれません。少なくとも、そうなる恐れがあります。そうして、自分が真の選択をする気持ちがあるのか、それとも、うまくいかなくなりそうになったらすぐに撤回する準備ができていて、すべてがうまくいくという希望を前提にした条件付きの選択をする気持ちがあるのかがわかるでしょう。


 このような一連のイニシエーションを経て新しい物語の中へと入っていくとで、その人はその物語の中で力を増すのです。その物語の中で力強くあることで、他の人たちにもその物語を開いてあげることができるのです。危機の最中であったり、自分自身のイニシエーションに直面していて、たとえ誰かが「インタービーイングの物語」を信じることができなくても、イニシエーションを経た強き人は、その人のためにそれを信じることができ、その人がその中へと脚を踏み入れる準備ができるまで、その可能性を開いておくことができるのです。イニシエーションのたびに、私たちはより力強い担い手となり、私たちの言葉や行動はその物語の語りの一部となるのです。


 本書が、新しい「人民の物語」の語り手、運び手、そしてそれに仕える者として、あなたを力付ける一助となったことを願っています。最後に、私自身の物語で終えようと思います。

一族の集い

 はるか昔、私たちの世界から遠く離れた世界に、偉大な一族が住んでいました。宇宙の彼方なのか、時間の彼方なのか、はたまた時間の外なのかはわかりません。生命と心の真の潜在能力が垣間見られるような例外的な至高体験を除いては、その存在を信じようとする人が今日ほとんどいないような、魅惑と喜びに満ちた状態で彼らは暮らしていました。 

 ある日、一族の長老たちが集会を招集しました。一族の人たちは集まり、長老の一人が厳粛に語り出しました。「仲間たちよ、私たちの助けを必要としている世界があるのだ。そこは地球と呼ばれ、その運命はどちらに転ぶかわからない危機に瀕している。人類はその集団としての誕生において重大な局面を迎えているのだ。私たちの惑星が100万年前に達した臨界点と同じもので、私たちの助けなくては死産となるであろう。この時代、この場所へのミッションに志願し、人類に奉仕したい者はおるだろうか?」

 「そのミッションについてより詳しく教えてください。」

 「これは小さなことではないのだ。我らのシャーマンが、おまえ達を深い深いトランスの状態に入れるのだ。人間としての生活を送ることになるのだが、最初のうちは自分の出自を完全に忘れてしまうだろう。私たちの言語や自分の本当の名前さえも忘れてしまうのだ。私たちの世界の素晴らしさや美しさ、そして私たちすべてを包み込んでいる愛からも切り離されることになる。おまえ達はそれを深く懐かしむであろうが、自分が失っているその何かに名を与えることはできないだろう。自分たちが普通のことだとして知っている愛と美を、心の中の切望としてだけ思い出すだろう。痛々しく傷ついた地球へと身を投じると、その記憶は、もっと美しい世界は実現可能であるという直感的な認識という形を取るのだ。」

 「その世界で成長するにつれ、おまえ達の認識は常に攻撃にさらされるようになるだろう。破壊、暴力、つまらない仕事、不安、堕落に満ちた世界が普通なのだと、何百万通りもの方法で聞かされるだろう。もっと美しい世界について知っていることを肯定してくれる味方もなく、完全に孤独になる歳月を過ごすこともあるかもしれない。光の世界にいる私たちには想像もできないような絶望の深みに陥るかもしれない。しかし、何があろうとも、智識からの輝きがおまえ達から離れることはない。おまえ達のDNAには、真の原点の記憶が刻まれているのだ。そのスパークは、いつかそれが目を覚ますまで、おまえ達の中で消えることなく眠るのだ。」

 「良いか、一時的には完全に孤独だと感じるであろうが、孤独になりはしない。助け、おまえ達が奇跡的だと体験するような救い、超越的だと表現するような体験を我々がおまえ達に送るのだ。これらの体験が、そのスパークを炎へと変えるだろう。少しの間、あるいは数時間、数日の間、おまえ達はあるべき美しさと喜びに再び目覚めるだろう。地球とその人々が深く傷ついていても、過去と未来から現在へと投影され、実現可能な約束と何が本物なのかを思い出せる美がそこにはまだあり、地球上でそれを目にするのだ。」 
  
 「それを垣間見た後、通常の生活に飲み込まれ、炎は再び残り火へと弱まっていくかもしれない。しかし、一つひとつの目覚めのたびに、その日常はより普通でなくなり、その世界の物語もより現実的でなくなるのだ。残り火はより明るく輝くであろう。十分な数の残り火がそうなれば、それらすべてが一緒に燃え上がり、互いを支え合うだろう。」

 「なぜなら、思い出してほしいのだが、そこでおまえ達は孤独にはならないのだ。自身の使命に目覚めはじめると、我々の一族の仲間たちに出会うだろう。共通の目的、価値観、直感、そして歩んできた道の類似性によって、おまえ達は彼らを認識する。地球の状態が危機的な状況に達するにつれて、おまえ達の道と道はますます交差していくだろう。孤独の時期、自分がおかしいのではないかと考えてしまう時間は終わっていくのだ。」

 「地球上のあらゆる場所で自分の一族の者たちを見つけるだろう。そして、地球上で使われている遠距離通信テクノロジーを通じて、彼らに気づくだろう。しかし真のシフト、真の加速は、特別な場所での対面の集会で起こるだろう。おまえ達の多くが一堂に会するとき、旅の新たなステージをスタートさせるだろう。 案ずる必要はない、おまえ達のその旅は、今はじまる場所で終わるのだ。そして、おまえ達の無意識の中で眠っていた使命が、意識へと開花するだろう。普通として提示されていた世界への直感的な反抗は、もっと美しい世界を創造するための明確な探究となるであろう。」 

 ある女性が聞きました。「孤独の時期についてもっと教えてください。それに備えることができるかもしれないので。」

 その長老は語りました。「孤独の時期の最中、おまえ達は常に自分が狂っていないことを確かめて安心しようとするだろう。そして、おまえ達は世界の何がおかしいのかについてのすべてを人々に伝えることで、それをしようとするだろう。彼らが自分の話に耳を傾けてくれないと、裏切られた気持ちになるのだ。もっと美しい世界が存在するという直感の正当性を確認するために、悪事や残虐行為、生態系の破壊についてのストーリーを渇望するかもしれない。しかし、我々がおまえ達に送る助けを十分に受け取り、おまえ達の集まりが加速した後では、もはやその必要はなくなるだろう。なぜなら、わかるはずだからだ。それ以降、おまえ達のエネルギーは、もっと美しい世界を積極的に創造する方向に向かうのだ。」

 一族の女性が尋ねました。「これがどうしてうまくいくとわかるのですか?このような旅に私たちを送り出せるほど、私たちのシャーマンの力は偉大なのですか?」

 長老は答えました。「うまくいくのだ。なぜなら我々のシャーマンはすでにそれを何度もやっているのだ。すでに多くが地球へと送られ、人間らしい生活を送り、おまえ達がこれから担う使命の下地をつくってきた。彼は実践を積み重ねてきておるのだ。今回の唯一の違いは、おまえ達の多くが一度に地球への旅を敢行するのだ。おまえ達が生きる時代の新しい点は、クリティカルマスに達するほどの人数が集まり、それぞれが自分の使命に目覚めるということだ。おまえ達が生み出す熱は、すべての人間の中に存在する同じ火花を燃やすだろう。全銀河系とその向こう側が地球に集結している。これほど遠くまで「分離」の旅をして、再び戻ってきた惑星はかつてなかったからだ。旅立つ者たちは、宇宙の進化における新たな一歩の一部となるだろう。

 一族の男性が尋ねました。「その世界に迷い込んでしまって、シャーマニックなトランス状態から目覚めなくなる危険はないのでしょうか?絶望、皮肉な考え方、分離の痛みがあまりに大きくなりすぎて、希望の火花、真の自己と原点の煌めきが消えてしまい、愛する者たちから永遠に離れ離れになってしまう危険はないのでしょうか?」

 長老は答えました。「それはあり得ないことだ。おまえ達が深く迷えば迷うほど、我々が送る助けはより強力なものになる。おまえの個人的な世界が崩壊したとき、おまえにとって大切なものがすべて失われたときにその助けを体験するかもしれない。後になって、その体験の中にあるギフトに気づくだろう。我々はおまえ達を決して見捨てたりはしない。」

 また別の男性が尋ねました。「私たちのミッションが失敗して、この惑星、地球が滅びてしまうということはあり得るのでしょうか?」

 長老は答えました。「逆説を用いてその問いに答えよう。おまえたちのミッションが失敗することはあり得ないことだ。しかし、その成功はおまえ達自身の行動にかかっている。世界の運命はおまえ達の手に委ねられているのだ。この逆説への鍵は、おまえ達の中にある。おまえ達の行動の一つひとつが、たとえ個人的な密かな苦闘であっても、宇宙的な意義を持っているのだという感覚を抱くことにあるのだ。今わかっているように、おまえ達が成すことすべてが重要であるということをその時に知るだろう。」

 それ以上の質問はありませんでした。ボランティアたちは輪になって集まり、シャーマンは一人ひとりのところに向かいました。それぞれが最後に気づいていたことは、シャーマンが自分の顔に煙を吹きかけたことでした。彼らは深いトランス状態に入り、私たちが今日いる世界へと入る夢に自らを誘ったのでした。

第35章 運命


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大野誠士
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