信じた先に裏切られた人は、何を糧に生きれば良いのでしょうか。
今年、知人男性が離婚しました。理由は相手の不倫だそうです。子どもが産まれたと喜んでいた矢先の出来事でした。生後1年も経っていないはずです。かける言葉が見つかりませんでした。
相手の浮気は初回ではありませんでした。結婚する前にも浮気されていたことがあったんだ、と彼は切り出しました。
それでも結婚したのは、彼にとって彼女が大切な存在だったからでしょう。浮気を謝罪され、もう二度としないと約束されたそうです。
しかし現実は非情でした。
不倫相手は、かつての浮気相手と同じ人だったのです。縁が切れていなかった。彼女は「約束」した後も彼を欺き続け、婚約を交わし、結婚して、子どもを産みました。どういう心境で生活していたのか、私には計り知れません。
すると、ひとつ疑問が生まれます。
いったい、誰の子どもなのでしょうか。
当然、彼もそれを考えたようですが、最終的に彼は「DNA鑑定しない」という道を選びました。
「疑い始めるとキリがないけど、あいつは確かに、俺の子だった。俺を父親にしてくれたんだ。」と云うのです。相手に「信じて。」と言われたから「信じた」とのことでした。
親権は相手に渡ったそうです。裁判が終わったという報告を聞きました。
「弁護士費用に50万、子どもが成人するまで払い続ける養育費に2500万。それで貰える慰謝料は220万だってさ。笑えるだろ。」
笑えません。
子どもに罪はない。それは分かります。
しかし失われた彼の人生は、220万円という金額にかえられるものだったのでしょうか。
彼はすっかり精神を病み、今や私の声も届かなくなってしまいました。精神科に通院しながら、なんとか生きているらしいことは共通の友人を介して知りました。「俺が子どもを育てないといけないから」と言って、仕事に復帰したそうです。
元々お人好しで純粋な彼は、あまり人を疑うことを知らずに生きてきたのかもしれません。真面目で責任感の強い彼が、心を病むのも道理です。
相手の不幸を望むことはありません。相手は「彼の」子どもの母親です。自分のしたことを深く深く反省して欲しいと思いますが、それ以上のことはありません。
ただ、彼の幸せを願います。
いつか私の声が、また彼に届く日がきますように。
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