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自動車教習所のテストは日本語がおかしい。

 もう随分遠い記憶ですが、学生の頃に自動車教習所に通いました。免許取得を目指して授業に出て、実技をやって、という流れの果てに、仮免許の試験と最終試験が待ち構えています。

 当時は私の人生の中で最も記憶力が優れていた時期でした。授業を聞くだけでは暇で寝てしまうため、毎日2冊ほど新しい本を持って行って、授業を聴いてノートをとりながら、読書を進めました。その日の授業が終わる頃には、1冊と少しを読み終わります。授業の内容も全て覚えています。

 ところがテスト。このテストが曲者です。
 普通の設問もありますが、かなりの頻度で「???」となる問題文が出現します。解答は全て「マルかバツか」の2択ですが、答えを聞いて解説を読んでも「いやそれはおかしいだろ」というくらい、意味不明です。
 その設問の何がどうおかしいのかを教習所の教育担当や校長に伝えもしましたが、返ってくるのは「それはね、そういうものなんだよ」という国会の質疑応答も真っ青なセクシー構文だけでした。

 意味がわからない。しかし免許は取りたい。

 そう思った私は、これらのテストを「教習所語」という日本語とよく似た別な言語と捉えて勉強しました。日本語と思うから腹が立つのです。ここは違う世界線。日本とよく似た別な場所。そう思うと気持ちが和らぎました。

 仮免許にしても本試験にしても、予想問題とか過去問とか、そういうものを練習することができます。私はノルマを超えて、その教習所に保管されていた全ての設問と解答を記憶しました。すると問題作成者の思考パターンが手に取るようにわかるようになります。

 その様子を見ていた校長から声をかけられるようになりました。
「調子はどうだい、渡邊くん。今日も頑張ってるね。」と、そんな会話をする仲になりました。
 なにか裏があるのかなと思いながら最終試験に近づいた頃、ちょっといいかなと呼び止められ、奥の部屋に案内されました。

「本試験の後にね、ちょっと話が聞きたいんだ。ほら、試験にどんな問題が出たか、とかそういうことが僕たちも気になってね。昼ごはんでも食べながら、どうだろう。」

 きたきた。裏話ですね。わかりました、お昼ご飯楽しみです、などと答えながら、こうして予想問題ができるんだなぁなんてことを想像します。


 本試験当日。
 いつものように魔法の合格鉛筆を携えて、試験に臨みます。
 容易い。教習所語を会得した私にとっては予想範囲の問題ばかりでした。すべて解き終えて、部屋を出ます。

 さぁ、本番はここからです。
 私はレポート用紙を取り出すと、先ほどの問題用紙の複製を始めました。一字一句違わないように、問題文を記憶から取り出して書き起こします。ついでに正答を横に書いていきます。

 「それで、どんな問題がでたのかな。」

 校長がメモ用紙とペンを片手に問いかけます。豪華な昼食にありつけた私は嬉々として舌鼓を打ちながら、先ほどの紙を取り出しました。そんなことをやった生徒は初めてだったようで、校長は目を丸くした後、ニンマリと笑いました。

 「完璧だよ。…それで、上の方に何か書いてなかったかい?」

 上の方?
 疑問に思って記憶の中の問題用紙をみると、たしかに文字と番号が書かれています。それを応えると校長は笑い始めました。

 満足いただけた様子で、美味しいデザートが付きました。


 世の中どうかしてるぜ、と思いながら、郷に入っては郷に従い、据え膳を食べた懐かしい思い出です。
 自動車教習所のテストの日本語はおかしいものですが、それはそれとして受け入れてしまうのが楽です。あの頃のような記憶力はもうありませんが、自分を売り込む重要性と何処も綺麗事ばかりじゃないんだろうなという学びは、今でも役に立っています。世の中の不公平・不平等を正すためには、まず優遇される方に到達してからブチ壊すことかなと思います。今に見てろよ、日本。


 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方が貴方の「強み」を自覚して、それを武器に荒れ狂う世間の波に立ち向かえますように。


#私の仕事 #学問への愛を語ろう
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渡邊惺仁
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