他者に媚びを売るのではなくて、自分の道を進め。
かつて有名大学の某教授に、私が直接云われた言葉です。重く厳しく突き放すようでいて、しかし一方で深い愛のある言葉でした。
自己紹介させるんですね、ひとりずつ。
しかも突然。即興で喋るしかありません。
これは何かのチャンスかもしれないと思って、頭を捻ります。私のとった作戦は「選挙演説のような自己紹介」でした。短いスピーチの中に自分の名前を複数回登場させ、自分の強みを2, 3言いながら抱負を述べて名前で締めました。
終わってから、教授と話す機会を得ました。
「君は面白いな。政治家にでもなるのか?」
当時はまだまだ青二才の身です。知能も経験も教養も追いつかない。数分も話していると、会話が止まりました。いえ、とめられた、といった方が正確かもしれません。
どこから何を見抜いたのか、それは今でも分かりませんが、教授の表情が急に険しいものに変わり、表題の発言が飛び出しました。
「他者に媚びを売るんじゃなくて、自分の道を進みなさい。」
その瞬間、私は目の前が真っ暗になりました。
強烈な一言です。自分でも気付かないうちに、私はその人に「媚び」を売っていたのでしょう。私は媚び諂ってくる人が苦手です。自分がそういう心理状態にあったということがショックでした。ただ返事をしないのも失礼だと、やっと絞り出した言葉は次のようなものでした。
「はい、なにか面白いことができるように頑張ります!」
それで会話は終了です。情けないことに、媚びを指摘されてなお、初めに言われた「君は面白い」を引き摺っていました。うまい切返しのひとつでもできなかったものかと悔やまれます。
突き放されたことが悲しくてトボトボ帰路につきましたが、家に着いてから気付きました。
『自分の道を進みなさい。』
これ、ひょっとして期待されたのではなかろうか。その日から私は、自分の道を進もうと固く決意しました。年齢が上だとか経験年数が上だとか、そういうことで態度を変えるのをやめました。権力者に服従すれば自尊心と引き換えに安定した生活が手に入ります。しかし「媚び」で得られるものは、虚しいだけです。
媚びと敬意は全く違います。敬意は心から生まれる自然な形であって、媚びは下手に遜った表面だけの歪な形です。私は敬意を大切にして、媚びを棄てる道を選びました。
私は本当に「スキ」な物・人にだけ「スキ」と言い、ここぞというときに「フォロー」します。
溢れ出る想いが自分の枠を越えて言葉になったとき、「コメント」させていただきます。
それを見極める為に、時間がかかることもあります。フォロワーリストから辿って記事を読んだり、アクションいただいたことをきっかけに読み漁ったりしています。フォローしなければ読めないような仕様ではありませんから、私はnoteという宇宙を自由に探検していたいのです。
それが電子の海中の交流であっても、文字を介した繋がりは大切な「多生の縁」です。
こんな素敵な出会いに恵まれて、私は幸せです。決して後悔させないような味わいのある記事を、書き続けたいと思います。
今、私の道のひとつは「note」にあります。
さて、次は何を書きましょうか。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方が呪縛から解放されて「自分の道」を意気揚々と進めますように。
☆本記事は、下記のお悩みにインスパイアされて勢いで書いてみたものです。
☆魅力的な文章を紡ぐなちこさんのnote、ご興味のある方は是非お立ち寄りください。
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