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僕らの旅路11 如月愛衣という女性

如月先生の初授業

窓から差し込んでくる日光と共に目が覚めた。リビングへ行くとまだ綾は起きてなかった。歯を磨き、顔を洗って、リビングのカーテンを開けると暖かい陽の光が入ってきた。今日はいい天気だから公園に行きたいな。

綾が目覚めるまでソファに寝転がりながら芥川龍之介の文庫本を読んでいた。元々歴史学者を志していた彼の作品は歴史物や古典から題材を取った物が多い。短編や中編が多いから手軽に読めるところがいいところだ。30分程読んでいたがまだ綾は起きてこない。そろそろ朝食を作ることにした。

昨日スーパで買ったポテトサラダが手つかずで残っていたはずだ。トマトを切ってレタスを洗って、ポテトサラダを真ん中に置いてサラダを作った。後は目玉焼きとパンを焼くだけだ。

綾はいつも大体決まった時間に起きてくる。そろそろかな?と思っていると案の定静かに戸が開き綾が起きてきた。

「おはよう」

「うん」

綾は眠そうな目をして洗面所に入っていった。そういえば、昨日綾が読むかなと思って図書館で童話全集を借りてきたんだった。昨日の夜はそれを読んで寝るのが遅くなったのだろう。

そして僕らは黙々と朝食を食べた。僕はトーストにブルーベリーのジャムを塗って食べていた。綾はロールパンに苺ジャムを付けて食べる。いつもの通りだ。

「ちょっと公園に行ってこようかと思うんだけど、綾はどうする?」

「私はいい。昨日の続き読むから」

やっぱり童話に夢中になっていたらしい。何か夢中になれる事があるというのは良いことだ。まあそういうことなら一人で行ってこよう。

公園内が子供たちで溢れかえる前の午前中くらいしか僕が公園を楽しめる時間はなかった。でもそれでも充分に静かで小さな自然空間を楽しむ事はできる。そしていつもの通り今日も公園内には誰もいなかった。

道中で買ってきたカルピスをベンチに腰掛けて飲んだが、砂糖が入りすぎていて気持ち悪くなり、一口でやめた。置いておいたら子供たちの誰かが飲むかも知れないとベンチに放置しておくことにした。

ザザッと時々吹いてくる春風が心地良い。芥川龍之介の作品はよく出来ている。嫌いじゃないなと思いながら自然の中の読書の喜びに浸っていた。

今日は午後から如月さんが初めて家庭教師に来てくれる予定になっている。何となくその時間は彼女たちの邪魔をしないように自室にでも籠もっていようと思っている。

それにしても、と僕は思う。青空を見上げながらいつまでここでこんな風な毎日を送っているのかなと思う。僕らの目的は旅をして色んな物を見ようということだった。ここでの暮らしも悪くないけど、そうそう何年もここで過ごすという訳にはいかないだろうなと思う。綾はその辺どう思ってるのかな?

「ただいま」

帰宅すると綾はリビングで童話を読んでいた。時計を見ると後20分ほどで約束の時間だ。僕は一応三人分のカモミールティーを煎れて待っていた。

如月さんは時間通りにやってきた。今日は半袖の白いシャツにオレンジのスカートという涼しげな格好だった。

「最初に綾ちゃんの学力を把握しておきたんですが」

「僕も詳しくは分からないけど、学校に行ってないから、テストか何かで測ってもらっていいですか?」

「分かりました。それじゃ私達は綾ちゃんの部屋で勉強していますね?」

そして二人は綾の部屋へ入っていった。二人の様子が気になるけど、まあいい。ブログを開いて詩を書こうと思ったが、どうにもアイデアが湧かない。

「ちょっと出てきます」とドア越しに告げて川沿いを散歩することにした。

如月愛衣の人生

私が家庭教師を生業にするようになったのは、ある先生のおかげだった。当時小学生だった私は家で本ばかり読んでいる子供で、クラスには馴染めず学校が嫌いだった。当時は不登校というのも今程数がいる訳じゃなくて、私はなんとか頑張って学校に通っていた。だけど無理が祟ったのだろう。やがて登校中に腹痛に苛まれるようになり、無理して登校しても早退する日々を送っていた。学校にいるのが苦痛だった。両親は最初は私を学校に行くせようとしたが、体調を崩すようになってから、無理に通わせようとはしなくなった。そして私は完全に学校に行かず、独りきりの生活を手に入れた。

学校に行かないのはともかく、ずっと家に籠もりきりの生活を両親は良しとしなかった。だから私は学校に行く代わりのように図書館に通った。平日の昼間に図書館に行くと、周りにいるのは老人とか年配の人が多くて、同年代の子供は当然の事ながら一人もいなかった。それがとても心地よかったのを覚えている。私は以前にも増して読書に集中するようになった。朝起きて図書館が開くまでは家にある本を読んで、図書館が開いている間はずっと館内で本を読んでいた。家に帰ってからも眠るまでは読書で過ごす。多分一日に16時間くらいは読んでいたんじゃないだろうか。やがて児童書はすぐに読むものがなくなって、大人向けの文学作品なんかも読むようになっていた。

図書館にいる間は12時になるとお母さんの作ってくれたお弁当を中庭で食べていた。そんなある日司書さんがやってきて、私と同じように中庭で昼食を始めた。

「ねぇ、毎日来てくれているわよね?本は好き?」

とりたてて美人という訳ではないけど、キレイな声の人だった。あまり会話したくはなかったけど、無視する訳にもいかない。

「凄く好きです」

と私は仕方なく正直に答えた。

「私も好きよ。だから司書になったんだけどね」

意外だった。この人は私が毎日図書館に来ていても、学校に行くようにとかこんな時間にどうしたのとか、そんな類の事は一切言わなかった。

それきりお互い食事に集中して、別れ際にその司書さんは「また明日もここで会いましょう?」と言って仕事に戻っていった。

それから私達はほとんど毎日中庭で共にお弁当を食べるようになった。12時の鐘がなると、私は中庭に向かい、少し遅れて司書さんがやってくる。

「愛衣ちゃんは最近何読んでるの?」

「宮沢賢治の絵本とか、です」

「成程。私も好きよ、彼の作品。どの童話が一番好きかしら?」

「銀河鉄道の夜」

「やっぱり、そうよねぇ」

司書さんはパンを食べ終えて、魔法瓶から紅茶をコップに注いで飲んでいた。

「銀河鉄道の夜はジョバンニとカンパネルラがどこまでも一緒に行こうとするんだけど、結局二人はお別れになっちゃうのよね。あれは一種の恋愛のようなものだけど。どう?愛衣ちゃんはもう恋をしたことある?」

「ううん。ない」

「そっか。まだこれからだもんね」

私はいつ学校に行けと言われるんじゃないかと内心どこかでビクビクしていた。だから司書さんとの会話は私にとって少しだけ緊張を強いられるものだった。だけどこの穏やかな女性の事は決して嫌いじゃなかったから特に避けたりすることもなくいつも二人で昼食を食べていた。

源氏物語と出会ったのも司書さんが勧めてくれたからだった。

「愛衣ちゃんならもう読めると思う。面白いと思うから是非読んでみて」

夏目漱石とかも読み出していたから、源氏物語の訳書もそれ程読みづらいとは思わなかった。そして1巻を読んでハマった。光源氏はそれ程好きになれなかったけど、藤壺や葵の上という女性達が興味深かった。読み終わった翌日に司書さんに感想を聞かれたのでそう答えた。司書さんは嬉しそうに頷いていた。

「やっぱり愛衣ちゃんみたいな文学少女だったらハマると思っていたのよね。源氏物語は10巻くらいまであるからまだまだ色んな女の人が出てくるわよ」

「そうなんだ。だったら良かった。長く楽しめそうですね」

それからしばらくはほぼ源氏物語だけを読んでいた。図書館で借りて、家でも読んでいた。一番気に入ったのは紫の上だった。彼女がまだあどけない子供だった頃の事、源氏の妻として並ぶもののない女性となっていった事に共感した。それにしてもよくこれだけたくさんの女の人が書けるものだなと、紫式部を深く尊敬した。文学少女と司書のお姉さんは私の事をそう言った。自分も紫式部には到底及ばなくても少しでも彼女に近づきたいなと、一つの目標となる人物ができた事が嬉しかった。










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