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TVドラマ「特捜最前線」が好き

フォローしているnoterさんの連載推理小説がもうすぐ終わる。
ふと〈刑事もの〉について書きとめておきたくなった。


愛と死と憎悪が渦巻くメカニカルタウン


むかし、よく「特捜最前線」をテレビで見た。
所謂〈刑事もの〉だが、鉄砲バンバンや殴る蹴るの暴力シーンは少なく、むしろ人間ドラマに軸足を置いていた。東京を「メカニカルタウン」つまり機械の街だと認識すればこそ、「人間とはなんぞや」という問題意識が前景化したのだろう。

刑事たちにとって、最も大切なのは真実であった。
真実にたどりつくためならば、容疑者の嘘を明らかにするためならば、ときにはかなり非情になりさえした。例えば、自分の父親が必ず帰ってくるはずだと信じている小学生の女の子にむかって、母親が殺した男の写真を見せて、これは君の父親かと尋ねるような。

しばしば容疑者は愛する人を守るために、嘘をついた。
愛する妻の名誉を守るために。愛する家族の小さな幸福を守るために。
それを暴く刑事は、容疑者の目から見れば、情の欠片もない鬼だった。
おそらく容疑者は思ったはずだ、「あの刑事は、ひとのこころがわからないのか」と。

ドラマのなかで容疑者の嘘は、容疑者と他人との関係をくっつける糊のような役割を果たしていた。
だから刑事が嘘を暴く行為は、糊を剥がすことに、すなわち人間関係を明らかにすることになった。そのとき主題は犯罪そのものから、容疑者を中心に織り成される人間模様へと移行した。
この点が、容疑者が自分の身を守るためだけに嘘をつく、他の〈刑事もの〉との違いであった。


非情の犯罪捜査に挑む心優しき戦士たち


「ひとのこころがわからないのか」-。
たしかに真実を追求していると、そんな類のことを言われる。
僕自身、言われた経験がある。

頭がいい権威主義者たち(注:威張るのが好きなひとだけでなく、威張るひとにおもねりへつらうひとも含めて)は積極的に嘘をつかずに、むしろ大切なことを黙る。
あるいは黙っていない者を排除する。
そうして真実を圧殺するのだ。

かくして真実を追求する者は、権威主義者たちから「ひとのこころがわからない」冷たい人間だと言われ、排除される。
ただ真実を追求しただけでだ。ほんとうに真実に到達し得たか否かは問題ではない。

悲しい。
しかしまさにその悲しみは自分の優しさから来ている。
それをわかってくれるひとは少ない。
べつにいいんだけど。


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