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「若者らしさ」の誕生 (1)

II 「若者らしさ」の誕生


21世紀の日本には若者らしい若者がいない、としばしば耳にします。
でも若者らしいとは何なのでしょう?

II-1 フランス革命と若者

・過去は悪い、未来は良い
フランス革命期、若者らしさは大切だという認識がひろまりました。
当時の革命家にとって、現在進行中の革命は、良き未来のためでした。
反対に過去は悪いものでした。悪いから、革命を起こさなければならなかった。
この価値観そのものが新しいものでした。
何故なら革命前は、過去の事例に従うことが良いことだったからです。
つまり革命前は老人が正しく、革命以降は若者が正しくなったのです。
だからロベスピエールが政権についた1793年にできた憲法第28条には、次のようなすごい条文が書いてありました。


「ある世代は、自らの法律に、未来の世代を従わせてはならない」。


・若者の責務
一方、若者には社会を変革して再生する責務があるとされました。
でもどうやって社会を変革するのか。
革命を起こすのか。
でももしも自分の弱い力では革命を起こせないとしたら、どうすればよいのか。
フランス革命の後の、ナポレオンの後の、国王がふたたびフランスを統治した復古王政の時代(1815-1830)、若者たちが直面したのが、まさにこの問題でした。
そして彼らは答えを見つけました。
最初から社会を変えようとするのではなく、まずは自分から変えていけばよいのではないのか。
でもどうすれば自分は変わるのか。
そうだ、出世しよう!そう彼らは思いました。

・出世のお手本としてのナポレオン
このときお手本となったのがナポレオンでした。
ナポレオンはコルシカ島の貧乏貴族の出身。学校ではいじめられっこ。それなのに皇帝にまでなった。けれど戦争に負けて島流しになった。
そんなナポレオンが復古王政期の若者たちのヒーローになったのです。
この時代に青春を謳歌した小説家バルザック(1799-1850)も、自分はナポレオンが剣で成したことをペンでなすのだ、と言いました。

そういうわけで、若者らしさについて考察するため、復古王政期のナポレオンのイメージをちょっと丁寧に分析していきたいと思います。


II-2 暗黒伝説

・ネガティブ・キャンペーン
ナポレオンの没落直後から、ナポレオンを悪く描く本や図版が出回りました。
これを「暗黒伝説」と呼びます。
そこでは次のようなイメージが流布されました。
ナポレオンは蛇のように残忍でずる賢い。
きわめて傲慢。
世界の財宝を我がものにしようとした。
村々を焼き、骸骨の山のうえでふんぞりかえった。
人間じゃあない、野獣だ。
このような「暗黒伝説」を流布した人々のねらいは、ナポレオンをひどい男であったと主張することで、戦争や独裁のあらゆる罪を彼になすりつけようというものでした。


・スタール夫人
他方、スタール夫人(1766-1817)は復讐心からナポレオンを非難しました。
彼女はナポレオンがフランスを支配していたころ、彼の圧政を批判したのですが、その結果、国外追放にされました。
1803年、ドイツに亡命し、帰国するのはナポレオンが没落した1814年ですが、その間に『国外追放の10年』という本を書きました。
この本の中で彼女はナポレオンを次のように描写しました。

「私はすぐに彼の性格は私たちが使い慣れている言葉では定義できないことが分かった。彼は人間としては善良でもなく暴力的でもなく残酷でもなく優しくもない。この存在は誰にも好意を抱くことはできないし、誰からも共感されたりはしないのだ。こんなことは他の人間にはありえない。彼の力はその冷静沈着なエゴイズムのなかにある。彼は駆け引きのうまいチェスの指し手である。しかし彼の敵は人類であり、彼は敵に王手をかける」。


しかしひとの気持ちは変わります。
ナポレオンが死ぬと、ナポレオンを称賛する声が聞こえ始めるのです。
それは次回で。


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