息子と虫の羽化を見続けたら、いつのまにか生きる勇気をもらっていた話
虫好きの長男(現小3)と過ごす中で、心の底から見られてよかったと思うのは、なんといっても虫の羽化だ。これを見ずに一生を終えることがなくて、本当に良かったと思っている。
虫の身体は羽化の際、驚くような変化をする。虫たちが、その変化に挑む様子を見て、当時、人生に迷っていた私は不思議と励まされた。
それは虫が羽化するとき、どの虫にも葛藤があるようにみえたからだ。自分の身体に未知の変化が起こるという抗えない運命に身を委ねつつも、本人達には、ほんの少しのためらいと迷いがあるように見えた。
そして、勇気を出して一歩を踏み出す。ひとたび足を踏み出してしまえば、そんな葛藤なぞ知らないよ、というように、さっぱりした顔で成虫になってでてくる。まさに生まれ変わるようだ。その様子に、とても魅了された。
実のところ、私は子ども向けに理科の教材を作っていたので、羽化の様子は、それまで何度も写真でみてきたはずだった。動画でも幾度となくみてきたはずの羽化。
でも、目の前で羽化をみた時、今までは何も見ていなかったのだと悟った。
見ていたようで全く見ていなかった。知ったつもりで、全く知らなかった。そんな事が、この世界には沢山あると思う。
動画や写真で見るのと、実際に目の前で羽化の様子をみるのとでは、全く違う体験だった。写真や動画だけでは、決して伝えられないものがあると、その時、身を持って知った。
だから、今、この文章を書いている。
無謀にも、写真や動画で伝えられない感覚を、文章で伝えようとする試みである。
息子と一緒にみてきたのは、カブトムシ、クワガタ、セミ、コオニヤンマ、バッタの羽化だ。どれも印象的で心に残る体験だった。その中でも特に印象的だったコオニヤンマの羽化について書いてみたいと思う。
コオニヤンマがうちにやってきた
コオニヤンマのヤゴがやってきたのは、今から2年前の暑い夏の日だった。
そのころ、長男は近所の用水によく遊びに行っていた。
あんまり暑いので、足を水に浸しながら、用水の生き物をガザガザと掬っていると少し涼しく感じるのだ。
それに、用水には、小さな小エビや魚がたくさんいるので飽きないようだ。
そんな中で、トンボのヤゴが捕れることもあった。
ある時、長男が、興奮した様子で帰ってきた。
何やら、すごいヤゴをみつけたという。よくみてみると、今まで見たヤゴと明らかに違う様子。まず身体がやたらに大きい。そして平たい。見るからに、いかつい感じで、「これ、ほんとにヤゴなの?クモじゃないの?」と言ってしまったほどだ。
ネットで調べてみると、「コオニヤンマ」のヤゴらしい。オニヤンマのヤゴより、身体は大きいのに、「コ」なんだね?と、なんだか不思議だった。
特別感のあるヤゴなので、専用の水槽を用意して、水草と石を入れ、羽化用に割り箸を傾けて入れて、育ててみることにした。
エサ、食べませんけど……?
ヤゴは生き餌しか食べないので、動いているエサでなければ反応しない。 そのため、すでにうちにいたコオニヤンマ以外のヤゴたちには、専用の冷凍アカムシをピンセットで、ひらひらと動かしてあげていた。
ヤゴに、アカムシをあげるのは楽しい。ヤゴの前で、アカムシをゆらすと、ヤゴが反応してパクっと喰らいついてくる。顎の力が強いので一度食らいついたら、ピンセットを持ちあげてもなかなか落ちない。息子は、思いついたときにしかエサをあげないので、いつのまにか熱心に私が世話をしていた。
しかし、このコオニヤンマくん。目の前でアカムシをひらひらさせても、一向に食べる気配がない。他のヤゴたちも、頻繁にくらいついてくる子もいれば、ほんとにお腹が空いていないと食べない子もいて、種の違いなのか、性格の違いなのかけっこうおもしろい。
コオニヤンマは特に繊細な性格なのか、エサをあげようとしてもびっくりしたように、コソコソと逃げ出してしまう。ついぞ、私があげたアカムシを、食べることはなかった。この子は、そんなに生きられないかもしれないな……と私はうっすらそんなふうに思っていた。
ついに羽化の兆し?気づいたら水槽から消えていた
コオニヤンマがアカムシを食べないまま、1年が過ぎた。でも、予想に反して、彼は元気に生きていた。もしかすると長男が用水でとってきた小さな小エビや魚を一緒に入れていたので、こっそり食べていたのかもしれない。
次の夏が来た7月のはじめの頃だったと思う。他のヤゴたちも、心なしかソワソワしだしたように見えた。エサを食べなくなりじっとしたり、普段はのぼらない、割り箸の上にのぼったりしている。
もしかして、そろそろ羽化ですか……?と思った。
その様子を見ていると、不思議と出産前の臨月の頃のソワソワ感が思い出された。もしかして虫たちも羽化を前にして、陣痛前みたいな大仕事を控えた気持ちなのかも?と想像する。自分の身体にこれから起こる事なのに、未知の事に挑戦するような、、不安で落ち着かないような気持ちだ。「わかるよ、その気持ち……」と共感しながら見ていた。
とくに、コオニヤンマの動きは明らかにおかしかった。これまで、一度ものぼらなかった石の上にのって、身体を乾かしたりしている。そうかと思ったら次の日は水の中にいたりする。なんだか、少し迷っているみたいだった。
トンボは、木の枝につかまって羽化すると聞いていたけど、一緒に入れた割り箸は細すぎるのか、のぼろうとしない。葉っぱを入れたら、そこで羽化するかもしれないと思い入れてみた。一時期はのぼったけど、でも、また水の中に入ってしまっている。
葉っぱは気に入らなかったようだけど、きっと、羽化が近いに違いない……。私は確信を深めた。でも、当の本人は、どうにも踏ん切りがつかない様子で、水から出てみたり、入ったりしている。
そんな様子をみて、「この子の羽化を成功させたい!させなければ……」という使命感がむくむくと私の中に湧いてきた。うちに連れてきたせいで、この子が羽化できないなんてことは絶対にあってはならない。もしかしたら、何か羽化に必要な条件が足りないのかもしれない……。
あまり日が当たらない所で育てていたので、もしかすると日照のリズムが足らないのかもしれないと思い、試みに朝夜のリズムが感じられる窓際に水槽を移動してみた。
これが良かったのかもしれない。
水槽を移動した翌日の早朝だったか、水槽の中を覗くとコオニヤンマがいなくなっていたので、びっくり仰天した。
壁にしがみつき、覚悟を決めたコオニヤンマ
水槽にコオニヤンマがいないのをみて、私の頭の中は真っ白になった。一体どこに行ってしまったのか?
家族を起こして、コオニヤンマがいない旨を大騒ぎで報告。探してみると、水槽から少しはなれた玄関の近くの壁にしっかりとしがみついるのをみつけた。
ついにきたのだ。
コオニヤンマは、ようやく羽化する覚悟を決めたようだ。
水槽の横についていた葉っぱを伝って外に脱出し、一生懸命大冒険して、羽化に最適な壁をみつけたのだろう。水槽の位置を移動してみて、本当によかったと心から思った。時間にして朝7時過ぎころだったと思う。
ほどなくして、コオニヤンマのゴツゴツした岩のような茶色い背中が、ダイヤ型に割れて、鮮やかな緑色の身体が見えてきた。なんとなく”ご開眼”というような荘厳な雰囲気だ。
息子たちもこのコオニヤンマの羽化に大興奮している。お~、すっげー!!という感じで、家族で見守った。
私はiphoneで撮影。夫は、ipadで動画をとる。そして、さらに自分のカメラでも撮影しまくっている。みんながコオニヤンマの周りで声援をおくりながら見つめる。朝食も、朝の支度も気がそぞろである。
この頭が最初に出てくるところは本当にすごかった。少し頭が出てきたあと、グイグイっと体を前後に大きくゆらしながら、渾身の力をこめてでてくる。その様子は、自分の出産にも匹敵するくらいの感動を感じた。(言い過ぎ?)
羽化が進むたびに、こんな狭く暗い色の身体のなかに、こんなにも美しい身体がぎゅうと押し込められていたのかと驚きがあふれてくる。
その日は、長男は新型コロナウイルスの緊急事態宣言があけて、分散登校をしている日だった。登校の時間がせまっていたので、しっかりと羽化するまで見届けるまでは難しそうだった。
「学校を休んで、見ることにする?」という言葉が喉元まででかかけた。
長男が自分から休みたいと言い出したら、休ませるつもりだった。しかし、そこまでではないようだったので、のこりは動画で撮っておいて見せてあげることにした。この羽化に家族の中で一番、興奮していたのは私だったようだ。笑
意外と人懐っこいコオニヤンマ。元いた場所に還す
すっかり、成虫になり、綺麗にハネを広げたあとは、しばらく家で自由にさせた。といっても、羽化後は疲れているのか、そんなに飛び回ったりしない。
長男が帰ってきて、「お~、ついにやったね!」と言った。
手の上にのせると、驚くことに人懐っこく、ずっと長男の手の上に乗っておとなしくしている。トンボが、こんなにも人懐っこいとは知らなかったな。
というわけで、コオニヤンマは無事に美しい成虫になり、もともとヤゴを見つけた用水の近くで、はなすことができた。
約1年間一緒にすごしたコオニヤンマ、元気で子孫を残しているといいなと願う。
なんといっても、あのゴツゴツとした茶色い身体の中で、一体何が起こっていたのか、とっても神秘的だ。迷いながらも、覚悟を決めて羽化しようとする様子や、生まれ変わったような姿に勇気をもらった。
とにもかくにも、虫もただ、のうのうと生きているわけではない。これは私の想像でしかないけど、虫だって、羽化するのに勇気もいるし、実は、きっとすごく怖いんじゃないだろうか。
でも、1歩、踏み出す。それは、自然の摂理と言えばそうだけど、人が出産に向かうのに勇気がいるように、虫だって同じ気持ちなんじゃないだろうか。
人間には、目に見えた羽化のような変化があるわけではないだろう。
でも、一生のうちには、きっと羽化するみたいに何か新しい自分になるために、1歩踏み出す時があるのかもしれない。悩んだり葛藤したりしている時間が、サナギや幼虫のような時期だと思えば、なんだか勇気が湧いてくる。
虫の羽化は、私にそんなふうに思せてくれた。