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なぜ「渾沌」か
じつは、長い間ネット上では本名由来の名前を使っていた。本名は苦手。私が私本体をあんまり好きではないのと同様に。
で、note始めるにあたって、心機一転のつもりと、私をピタッと表せる名前にしようという二つの理由から名前を変えることにした。
昔から「渾沌」という存在は好きだった。
高校時代に「論語」などと並んで「荘子」を習った時に出てきたんだったか。
「人皆有七竅、以視聴食息。此独無有。嘗試鑿之。」
日鑿一竅、七日而渾沌死。
北海と南海の帝が中央の帝である渾沌にもてなしを受けたので、お礼に「人間には七つの穴があって、それで視たり聴いたり食べたり息をしたりしているのに、渾沌にはそれがないから、穴をあけてあげようではないか」と、七日かけて穴を開けてあげたら、渾沌は死んでしまった、というお話。
これを習った時からずっと「お節介野郎というのは何処の世界にもいるもんだ」と思っていた。周りと違うからといって、周りと同じようになることを強制されて死んでしまった渾沌は私かもしれない、と思っていた。
また、渾沌(=混沌)は、区別が立たず物事が入り混じっている状態を表す言葉でもあります。
私にピッタリじゃん。
大人と子ども、女性性と男性性、几帳面さとぐうたらさ、現実主義者なのに夢見がち、今までこの性格のおかげでどれほど自己嫌悪に陥ってきたことか(笑)
ということで、私はここ(note)での名前を「渾沌」とすることにしたのでした。「混沌」じゃ、カオスの意味の方が強くなるから、元々の「中央の帝」の名前としての「渾沌」。
この名前を冠している限り、私は渾沌としてふるまえる。物分かりが良くて口下手で長女気質のO型気質の私ではなく、常に移り変わって、思うことを好きなようにやって、やりたいことをやりたいようにする人間。ま、はたから見れば、「普段だってそうじゃん」と言われるかもしれないけれど、そこは自覚の違い。「好きにやるよ」と自覚して好きにやるのと、「結果的に好きにやってる」とでは気分の良さが全然違う。
寝てる間に穴を開けられて死んでしまった「渾沌」はこうして現代に蘇っているのだ。