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この夏、思い通りにいかない毎日を改革したい
私の人生、こんなはずじゃなかった。
なんか最近こんなフレーズが頭の中に浮かぶ。
ちなみに暗い部屋で三角座りしているイメージじゃない。水槽で口を半開きにして泡を吹きながら、ヒレも動かさず漂っている出目金的なやつだ。
そう、呆然としております。ぶくぶく。
フリーランスの作家&ライターになって2年半ほど。
作家としては小説を、ライターとしてはインタビュー記事を、主なライティングジャンルとして任せてもらってきた。
「来月は仕事ないかも…!」とヒヤヒヤする、フリーランスあるあるな浮き沈みも幾度となく体験した。
でも頭を抱えた瞬間に、ありがたいことに仕事がお手て繋いでやってきて、結局毎月忙しかった。
そう、2年目までは。
今年に入って、これまで不定期ながらも依頼をくださっていたクライアントさんからの連絡が、みごとに全部ぱったり途絶えた。
どこかで「あやこあにぃは脱法ハーブをやっている」みたいなウワサでも流れているんじゃなかろうかと思うくらいに閑古鳥が鳴いている。
苦労してあらすじを作り、途中まで掲載されていた小説の連載も、連絡がないなあと問い合わせたら「次話の更新日は決まっていません」と言われて泣いた。とてもみごとなサイレント打ち切り。
原因はいろいろ考えられる、そもそも話の質が悪かったんだと思う、でももっとできることはあった、たとえばネット連載するんだから小説だもんねと油断せずに、もう少し閲覧数が伸びるようにSEO対策したりだとか……。
と、叫んでも叫んでも後のフェスティバルなのである。
今はキャリアスクール繋がりの仕事や、自分で応募したインタビュー記事、コラムの継続案件でなんとか食い繋いでいる。ありがたい。ありがたいのだけれども、こうもぱったり連絡が途絶えたのは……いったいどうして。
周りのライター仲間を見ると、noteやSNS経由で企業から記事執筆の依頼がきただの、昔のバイト先の知識や好きなことを強みに記事を書いてるだの、みんなキラキラしているように見える。
声がかかるなんて私にとっては夢のまた夢だし、人に語れる知識も経験も趣味もなくぼーっと過ごしてきた人生も悔やまれる。あたいも「あなたに書いてほしい」って言われたい。心底羨ましい。
しかし私は待てど暮らせどクライアントさんに「君に決めた」と言われることのないポケモンであり、ボールの中で燻っているおぞましきモンスターなのである。
昔の友人に会ったら会ったで、役職に就き、後輩を指導しながらひとつの専門分野を極めている姿が眩しくて眩しくて涙が出そう。サングラス、サングラスを持て。
彼ら・彼女らを見ていると、未経験なのにいい歳こいてすっぱり会社員を辞めた自分の選択そのものが間違っていたような気さえしてくる。他人の成功を心から祝福することもできず、もやもやする気持ちの置き所がすっかりわからなくなった。このままでは自分が大嫌いになりそうだ。
私の人生、こんなはずじゃなかった。
何かがおかしい。何か歯車が狂っている気がする。
なぜだ。
いや、なぜってそりゃあ9割は私の力量不足なんだけれども、じゃあ、残りの1割があるとしたら?
ぐずぐず悩んでいたら、ふと、年始に同級生らと「今年は厄年やねー」と話したのを思い出した。
そうだ厄払いに行こう。
もうどうしたらいいかわからないとき、人は安易に神に祈るのである。
以前から仲良くしているTwitterの創作系フォロワーさんと香川で創作合宿をしたその足で、ご祈祷にお付き合いいただくことになった。
向かったのは金刀比羅宮、通称こんぴらさん。
海の守護神で、大漁祈願・商売繁盛など幅広いご利益があるという。
7月末、40度越えの酷暑予報の中、苔むした急な階段をヒイヒイ登り、本殿に参拝してから社務所へ向かった。
ご祈祷の申し込み用紙には「家内安全」「心願成就」などの四字熟語が10個ほど並んでおり、何をお願いするか決めて丸をつける。
ここは「厄難消除」一択だ。
鼻息荒く提出した私の用紙を見た巫女さんが微笑み、
「厄除けですね。ちなみにこの表の生まれ年に該当されていますか?」
と厄年表を取り出した。
はいもちろん!!
と意気込んで表を見た。
驚愕した。
ない。私の生まれ年が。
何度見ても、ない。
「あれ…。今年、厄年のはずなんですけど…」
何かで調べられたんですね?と巫女さんが笑みを深くする。
「まあ、神社によって考え方が違いますから」
神社によって???
考え方が???
「選択いただいた『厄難消除』はこの一覧のお生まれの方しか選べないので、代わりにあらゆる厄を無くす『諸災消除』にしましょう」
あらゆる、厄を…!
厄だけどー!厄じゃなかったー!!
と頭の中でサツキとメイが飛び跳ねたが、最後まで謎は解けなかった。
ちなみに、このクソ暑い時分にご祈祷をお願いする人は我々4人しかおらず。
暗闇で聞いたらチビりそうなくらい地を這う声で宮司さんが読み上げた、4人分の名前やご祈祷内容は、自分の部分だけまったく聞き取れず。
なんかこう、イマイチよくわからん感じで山を下り。
私は思った。
はるばるフォロワーさんたちを付き合わせておいて、厄の上にバチが当たりそうだけれども、それでも私は思った。
神社によって厄年が変わるなら。
それってつまり「病は気から」
的なやつじゃなかろうか。
「なんでも厄年のせいにすな!!!清く生きろ!!!」
と、神様に怒られた気がした。
そう、なんかうまくいかないと思ったら、自分で頑張るしか、ないのだ。
こうして文字にしてみたら悲しいくらいにド正論すぎて、noteの前で私は泣いた。
あぁここまで1,800字も書いてしまった。ようやく本題です。
この夏やりたいこと。
自分のペースを取り戻すために、
絶対にスキルアップしてやる!
ライターとしては、当たり前だけど今いただいている仕事をきっちりこなす。ボランティアの取材や執筆案件もいくつかあるのだけれど、取材力と筆力アップのために真摯に取り組む。
時間があるならあるで、ポートフォリオを整えたり、インスタやFacebookを更新すべし。noteやSNS経由で依頼が来る人は、私なんかの数百倍努力しているのだ。
インプットのために講座を受けるのもいいなと思って、インタビュー講座にも申し込んでみた。受講は8月末。
8月中旬には、6月からそろりと参加したマーブルコミュニティの合宿もある。ここでも何かを気付けるきっかけにできたらいいなあ。
次に作家として。
ポーランドのピアニスト、イグナツィ・パデレフスキは言いました。
「一日練習を怠ると自分にわかる。二日怠ると批評家はわかる。三日怠ると聴衆がわかる。」と。
ほんとにそう。1日でも作品を書かない日があれば、なんだか感覚が狂う気がする。
継続。継続をしなければならない。
そして、発表し続けなければならない。
そうでないと、技術も高められないし、作品を「いいな」と思ってもらえる可能性もゼロなんだよな。
私はTwitterの1ポストで完結する超短編小説(140字小説)をかれこれ4年ほど書いている。
ゲリラ豪雨の夜、暑くてお腹を出して寝ていたら雷様が現れた。やばい!慌てて隠すがもう遅い。一瞬でおへそを取られてしまう。ど、どうしよう…。青くなる僕をよそに掌のおへそにハーっと息を吹きかる雷様。続いてそれを手渡し、「冷やすなよ」とウインクすると閃光と共に消え去った。#140字小説
— あやこあにぃ@作家xライター (@ayako_annie) August 3, 2024
ヒトの一生を一日に例えるときは年齢を3で割るといいそうだ。0歳は午前0時、30歳は朝の10時、60歳なら20となるから午後8時。このルールに乗っ取ると、50半ばの妻と私は夕暮れ時にいるらしい。
— あやこあにぃ@作家xライター (@ayako_annie) July 1, 2024
歳を取るのは嫌なことと捉えがちだ。でも、ふたりで楽しむ夕涼みは、案外悪くないとも思う。#140字小説
このタイプの小説は文章力アップになるし、創造力も鍛えられるのだけど、最近仕事にかまけてあまり書けずにいたら、ものすごく腕が鈍った気がしていた。
なので、これを機にしっかり創作脳を鍛えたい!ということで、8月はできる限り毎日物語を考えようと、粛々とTwitterに小説を投稿している。
この140字小説、毎日書いているスゴい人もお見かけするけれど、私の場合は1個考えるのに数時間かかるので、「毎日投稿」は非現実的ではある……。でも、とにかく日々創作を意識して過ごそう、と心に誓っている。
あと、Twitterでは一言も発信していないけど、創作インスタの更新も始めました、ひっそりと。
よかったらチェックしてやってください。
このnoteを書きながら改めて思った。
最近「書くこと」を楽しめていなかったなあ。
せっかく書くならウジウジするのではなく、ワクワクしたいよね。
未来を楽しむための材料集めを、ちょっとずつやっていきたいよね。
秋風吹く頃には突破口を見出していることを夢見て。
溺れかけの出目金、いざ行かん。
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