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クセつよ住職と100歳の戒名

「さて、戒名にはどんな字を入れさせてもらいましょ!」

2024年、7月。
葬儀屋の畳の上で、私たち一家は住職に迫られていた。

「せっかくつけるんですから!お好みの字言うてください!」

お好みと…言われましても…!!

この夏、私の大事な祖母が施設で静かに息を引き取った。
100歳だった。

前日に実家のある京都へ新幹線で駆けつけた私は、祖母の意識があるうちに最後のお別れができた。

だから、寂しいけれど、後悔はなかった。

早くに祖父に先立たれた祖母は、長年ひとりでお墓を守ってきた。

北野天満宮近くの、小さなお寺のお墓。

お正月、お彼岸、お盆。ひとり暮らしをしていたときは、少し距離があっても節目節目で足を運んではお墓参りをし、おしゃべりして帰る。そんな生活を何十年も続け、今や祖母は最高齢の檀家だった。

葬儀場に駆けつけてくれた住職は、私たちに深々と頭を下げた。

「長年うちの寺に貢献してくれはって、はな子さんには本当に感謝しております」

京都では原付で走り回るお坊さんの姿をよく見る。狭い道が多いから、車よりも小回りがきくのだ。住職も例外ではなく、袈裟から覗く肌という肌がこんがりと日に焼けていた。会うのはかなり久しぶりだけど、記憶よりも黒くなっている。

後日、その見事なまでに黒くつやつやした坊主頭を思い出し、夫が「黒光りピータン」と言っていた。

バ、バチが当たるでぇ…!

私は笑いをこらえたが、それくらい黒いのである。

さて、枕経まくらきょうを唱え終わり、ぐるりと我々のほうへ向き直った住職はニコッと微笑んだ。明日からのお葬式の段取りかと思いきや、違った。説法だった。

「こういうときに必ずお話しするテーマというのがありまして。戒名についてなんですが」

と、滑らかに話を始める。

お釈迦様がどうのこうの。

仏門がどうのこうの。

死とは、生とは。

あまりある熱弁に、心もシビれたが足もシビれた。

正直、お経より長い。
長いけど、お話上手でなんだか聞き入ってしまう。落語家並みのトーク力。

父、母、夫、私のたった4人と祖母相手にたっぷり20分、それも人の良い笑みを浮かべながら話し、一拍置いて、住職は言った。

「さて、そうしましたらみなさん。戒名は、どんな感じで付けさせてもらいましょ」

ど、

どんな感じとは?!


戒名は「仏門に入った証」としてつける名前だ。現代では、亡くなった人が極楽に行けるようにという意味合いでつけられるらしい。

最初に「ナントカ院」、最後に「大姉たいし」をつけるだのつけないだの、戒名にもいろいろランクがある。で、祖父の戒名の字数に合わせて祖母も位の高い戒名を付けてもらうことだけは決まっていた。

しかし、ずっと前に父方の祖母が亡くなったときも夫のおばあさんが亡くなったときも、戒名はお葬式当日にお坊さんが勝手に考えて持ってくる感じで、こんなふうに聞かれたことは一度もなかった。

驚く我々を見回し、住職は相変わらずの笑顔で、

「せっかくつけるんですから。何かええ漢字を入れましょ!」

懐から小さなノートを取り出すと、前のめりにペンを構える。

「ちわー!三河屋でぇす!」という幻聴が聞こえる。

しかし、適当にやっといてよサブちゃん、とか言える雰囲気でもない。
かと言って、急に「ええ漢字」とか言われても思いつかない。

「なんでも!なんでもええんですよ。漢字が思いつかんかったら、エピソードでも!」

ヘイ、カモン!
とでも言い出しそうな勢いに負け、母親がおそるおそる口を開いた。

「あの、母は長年俳句をやっていて…」

頷きながらペンを走らせる住職。

「俳句ですか!ふむふむ!ええですね!」

続いて父が、両手の指を揃えて盆踊りの仕草をする。

「踊りの先生もしてました」

「ああそうでしたね!それも入れさせてもらいましょ!」

「"はな子”なので、お花の漢字も入れたら良さそうですね」

「そうですね、いけると思います!」

「80代で急に長唄も習い始めたんです。驚きました」

「すごいですね!さすが元気なはな子さんや」

家族がぽつぽつと語るエピソードに、ひとつひとつコメントしながら熱心にメモを取る住職。
すごい熱量や…と圧倒されながら、私も祖母との思い出に想いを巡らせる。

あ、そういえば。

「あの…宗教違うんですけど」

「どうぞどうぞ」

「おばあちゃん、ずーっと平安神宮の役をしてたんです」

「役?」

「たぶん、賛助会員みたいなものだと思うんですけど…」

「なるほどなるほど!」

住職が大きく、『平安神宮』と書いたのが見えた。そしてページを上から下まで指でなぞると、パタリとノートを閉じる。

「ありがとうございます。そうしましたらこの辺りで考えさせてもらいます」

なんとも満足げな表情。
取材を無事に終えた駆け出しライターのようなフレッシュさ。
いや坊主歴ウン十年の、大ベテランなはずなのに。



葬儀は家族葬だったが、下は0歳から上は90歳まで、総勢30名が集まった。

どうでもいいけど、葬儀用の正装に身を包んだ住職が現れたとき、ふだん作業着の上司がスーツで出社してきたときのドキドキに似た感動を覚えた。

スーツ萌えならぬ、袈裟萌えする日が来ようとは。人生なにがあるかわかんないもんだ。

さて、読経を終えた住職はおもむろに椅子から立ち上がり、私たちへ向き直った。

親族一同の前で、祖母が長年檀家としてお寺に貢献してくれたことへの感謝の意をあらためて述べた後、住職はおもむろに手元の位牌を取り上げた。

「えー、こちらが、今回考えさせてもろた戒名です」

鳳舞院香空唄花大姉ほうぶいんこうくうばいかたいし

マンガだったら、間違いなく背景に「ジャァ〜ン」という効果文字がついている。

「それではちょっと由来をご説明させてください」

由来?!ご丁寧に解説してくださるの?!

私の戸惑いをよそに、住職は位牌を手に持ったまま語り始めた。

最初に、4〜5文字めの『香空』なんですが、これははな子さんが生前もらっておられた戒名です。

西山浄土宗では、総本山の光明寺で数年に一度「大授戒会」というものがありまして。5日間にわたって修行をすると、生前でも2文字の戒名がもらえるんです」

太秦うずまさ映画村近くの一軒家で90過ぎまでひとり暮らしをしていた元気印の祖母。そんな祖母が施設でほぼ寝たきりになってしまった事実が、私はずっと悲しかった。

でも、「香空」の2文字に、まだ元気いっぱいだったころの祖母の面影を見つけて、たまらず視界がぼやけた。

付き合いが多かった祖母のことだ。きっと友達に誘われて参加したんだろうな。

『はな子さん、もうすぐ光明寺さんで授戒会があるらしいえ。一緒に参加せえへん?』

『あらほんまぁ。ほんなら行こかいなぁ』

私の知らない、存りし日の祖母の姿。「おばあちゃん」としてではなく、ひとりの人間としての、知らない一面を覗き見た気がした。
それがたまらなくうれしく、悲しい。もう二度と、手を握れないのが、寂しい。

ぐすぐすやっていると、「さて、他の字についてですが」と住職が続ける。

2文字目の『舞』。これは、はな子さんが長年、日本舞踊の先生をやっておられたことに由来します」

三重県は松坂の生まれの祖母。京都へ嫁いできてから師範の資格を取ったらしい。いつも家へ遊びに行くとお弟子さんが集まっていて、レコードを流して踊りの練習に励んでいた。私も、ちゃんと習っておけばよかったな。

それから6文字目の『唄』。はな子さんは俳句の教室に通われていたとか。それにカラオケがお好きで、80代で長唄も始められたとも伺いました。それらの意味を込めて、この字を入れました」

祖母の家にはお風呂がなかったので、いつも数キロ先の銭湯まで歩いて通っていた。目がほとんど見えてなかったらしいのにアンビリーバボーな行動力である。そしてその帰りには近くのカラオケ喫茶に寄り、ご近所さんと歌を楽しんでいた。

長年通っていた俳句教室の前には毎回俳句を持ち寄るのだが、夜通しウンウン考えている姿も見た。ネタが思いつかず夜更かし。身に覚えがありすぎる。このババにしてこの孫あり。

次に『花』。これは言わずもがな、お名前の「はな」の字からです。実は『華』と迷ったんですがね、かわいらしい感じを出したくてこちらの字を選びました。

さて最初へ戻りまして、『鳳』の字ですが。京都で鳳凰のいるお寺はどこでしょう?ご存知の方いらっしゃいますか?」

前代未聞、説法deクエスチョン。
みんなが目を逸らす気配を感じた。

私も引き続き、泣いてるフリして下を向いた。が、隣に座っていた母が果敢にも、「えーっと、平等院?」と言った。

あ、なるほど10円玉に描かれている平等院鳳凰堂があったか!

と私は感心したが、望む答えではなかったらしく、住職は「平等院もそうですねぇ」と微笑んだ。

「おっしゃる通り、鳳凰はお寺にいることが多いです。が、神社にいる場合もあるんです。その代表格が…、平安神宮です」

思わず顔を上げた。住職と目が合った。

「はな子さんは、平安神宮で長年お役目を務められていたとか。そこでこの字を入れようと考えました。

鳳凰にはオスメスがあり、鳳はオス鳥、凰はメス鳥を指します。女性なので『凰』を入れようかと思いましたが、『凰舞院おうぶいん』より『鳳舞院ほうぶいん』が語感がいいなと」

ここで言葉を切り、住職は「それに、」と笑みを深くした。

「早くにご主人に先立たれたはな子さんは、長いことおひとりでお家を守ってこられました。一家の大黒柱の代わりを務めておられたという意味も込めて、オス鳥を表す『鳳』を選ぶことにしたんです。

ええですかみなさん。『鳳舞院香空唄花大姉』です。これ、四十九日の法要のときにテストします。覚えてくださいね」

俺の最高傑作をヨロシク!とでも言わんばかりの念押し。

私はすっかり圧倒されてぽかんとしてしまった。

これほどまでに…これほどまでに…、敬愛を込めてつけられた戒名がほかにあっただろうか。

もう袈裟萌えどころの騒ぎではない。完全に虜である。

涙は引っ込んで、代わりに温かなものが心に広がっていた。



おばあちゃん、そろそろ極楽に着いたころだろうか。

鳳舞院香空唄花大姉。
物覚えがわるい私でも、すっかり覚えてしまった。

きっとこれからもたびたび思い出しては、鳳凰とともに優雅に舞い歌う祖母の姿を心に浮かべることになるだろうな。

そして、そうだ京都行こうの勢いで、そうだお寺行こう、とも思っている。

お察しの通り、もちろんお目当ては住職の説法です。



このnoteは2024年10月14〜16日にX(旧Twitter)にて開催した「あなたが読みたいタイトル」投票で1位になったネタで書いたものです。

詳しくはこちら→「読みたいネタを選んでもらって書くアンケートエッセイを始めます」

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あやこあにぃ|作家&インタビューライター
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