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第31話 愛とは金か愛情か。証明するには生き方で示すしかない。【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
高校から学生時代にかけて、ぼくは話すたびに親父ともめていた。
「愛情とはただの情だ。そんなのでは人は守れない。愛とは愛情じゃなく、金だ。」
「金じゃない。本当に愛してるなら『愛してる』って言ってみろ。金なんてなくてもいい。あなたがおれたちのことを愛しているかが問題なんだよ。言ってみろよ、『愛してる』って。」
親父はついにその言葉を言えたことがなかった。それはもちろん昭和育ちの男として表立って言える言葉でもないことはわかっている。
でも、実際にそういう感情がわいてこない人であったことは、家族として感じていたことなのだ。だからこそそうやって迫ったのだ。こっちだって愛に飢えて必死だったのだから。
しかし、「愛とは金だ」ということには、少なからず真理もある。親父は金で苦しんだ。
正確には、仕事で金を得ることが難しく、もっと言えば仕事を続けることが難しく、主として家族を養うことに苦労したのだ。
親父は営業が大の苦手だった。親戚の口でいい企業に就職できたが、営業に出ては心が折れて営業中なのに、真っ昼間母のいるアパートに戻ってきていたという。
じきに首になった。親戚から白い目で見られてそれはプライドが傷ついただろう。
単なる根性なしと言われてしまえばそれまでだが、親父は自分を恨んだにちがいない。親父は親父なりに世間で生きる親としての責任を全うするべく、必死でもがいた。
親父は一家の大黒柱として経済的な責務を放棄しなかったことは、ある意味やるべきことはやったと言える。だから「愛は金だ」というのは、親父としては真実なのだ。
愛情なんてものを自分に芽生えさせるのを待っている間に、子供たちは生活の上で路頭に迷ってしまうのだから。
ただし、親父一人の力では家計は成り立たず、母も働いて何とか3人の子供たちを育てた。
母としては私も働いたという自負があるため、子供へ愛情を注げない夫への不満はかなりあった。それでいて、ある時広島へ行ってしまい、しかも息子二人が多感で難しい時期に行ってしまったことで、夫婦の距離は決定的に遠のいていった。
親父は折に触れよくこう言っていた。
「父さんは自分のお父さんを知らないから、父親というものがどういうものかわからないんだ。」
と。
そう言われて息子としてはどうとらえていいものか困ったものだ。
「だから?それで?それを理由に子供を愛せないっていうわけ?」
いや、でも言わせてもらおう。たとえ自分の父親を知らないとしても愛情豊かな人はいる。そもそも親父は孤児ではなく、母親もいて、神父もいて、経済的にも恵まれて育っている。
しかし、親父がかたよったカトリックの生活をしいられ、自分の母親は孤児の育成に奮闘し、やんちゃ心を理解してくれたかもしれない父親はいない。
そうやって親父自身が愛情を感じずに、精神的に深い傷を背負ったまま育ってしまったということもまぎれもない事実だった。
言っておくが、キリスト教の教え自体が間違っているのではない。キリスト教は愛を実践するものだ。どんな人も愛されているということを広める宗教だ。
だから間違っているとすれば、それを扱う人間が間違っていたのだ。
ぼくは、20代に突入し、父への反発と父への理解というはざまでもがいていた。
親父のことわかってはいるけど、自分のこともわかってほしい。でもそれは言葉でぶつかってもただたがいの傷を深めるだけだった。
「こうなったらおれが生き方でこの人を超えていくしかない。」
ぼくはそう思うようになった。
だからぼくにとって、音楽を始め、旅に、それも突拍子もない、誰もができるとは限らないようなやり方で出ていくということは、とても大事なことだった。
自分で自分を認め、人にも認めてもらうために。父親にも物言わせないようになるために。
「生き方で証明する。」
それがぼくの生き方のテーマとなった。