茶は日本と中国、チャイはインド、ツァイはどこかな?
茶はもう説明するまでもなく、チャイだってもう日常的になってきている。知らない人はなかなかいないくらいだ。
25年くらい前はチャイだって知らない人がほとんどだったと思うけど。
さて「ツァイ」はみなさん知ってますか?
かつてインドを放浪していた時、出会った旅人に、
「ユーラシア大陸を東南アジアから『チャ』つまり『ch』の発音から北上していって、ヨーロッパに向かっていくとやがて『カフェ』とか『コーヒー』とか、『k』の発音になっていく。」
と教わったことがある。『c』を『k』の発音で読むということもあるから、cとkは親戚なのかもなんて思う。
そうやって見ていくと「ツァイ」は「t」になりそうだ。
だからといってどちらの系譜でもないとは思わない。「ツァイ」はやはり「チャイ」の仲間だと普通は連想するだろう。
そしてチャイはミルクティーだから、ツァイもそれに近いのでは?と想像した人はするどい。
ツァイはモンゴルの乳茶(ミルクティー)だ。Wikipediaから写真をいただきます。でも、まさにこれをぼくは飲んでいました。このツァイは内モンゴルですね。
ということはミルクティーつながりでいくと、モンゴルは中国よりもインドと食文化が近いのかもしれない。
チベットなどヒマラヤ圏のお茶はバター茶になるので、乳製品をお茶に入れるというお茶文化圏となっているのかも。
ツァイとはどんなお茶なのか
それはウィキを調べていただければいちおう分かるのだが、ぼくは実際にモンゴルに行ってそのお茶と出会ったので、まずは出会いからお話します。
それと旅のメモを引っ張り出したらちゃんとモンゴルの食事状などをまとめてあった。
ぼくは、かねてからモンゴルの大草原にあこがれており、それというのも井上靖さんの「蒼き狼」というモンゴル帝国の小説を中学生の時に読んでから、
「いつか必ずモンゴルで馬に乗りたい」
と夢見ていた。
それで人生に行き詰って、社会人になる覚悟ができたとき、その前にやっぱりモンゴルに行っておきたいと思って念願かなってモンゴルに行きました。
神戸から燕京号というフェリーに3日乗り、天津着で北京に向かい、北京からシベリア鉄道の支線に乗って国境を越えてモンゴルに入る。
中国の国境を越えたモンゴルは「外モンゴル」と行って独立国だ。ロシア色が強くて英語も中国語も通じない。
国境を境に南側は「内モンゴル」と言って、中国内の自治区になっている。
ぼくは先にまず外モンゴルに行き、それから内モンゴルにもどった。
実は外モンゴルの時には「ツァイ」のことはよく知らず、内モンゴルでようやくどんなものなのかが分かった次第。
というのも、内モンゴル人のバートルという青年と行きのフェリーで知り合いになり、内モンゴルでは彼の住まいに居候させてもらったからだ。
バートルは日本に留学した帰りだったから日本語が堪能で、何でも教えてくれた。
この「ツァイ」、実は外モンゴルと内モンゴルでちょっと違う。実際にぼくが現地で食事をした時の写真もあわせて紹介しましょう。
外モンゴルのツァイ
・塩を入れるからしょっぱい
・色は白に近い
・朝はこれに米(粟)を入れる
内モンゴルのツァイ
・甘みがある。甘味強め
・色はちょっと茶色っぽい
・朝はこれに米(粟)を入れる
・粉になって市販されている(外モンゴルでもあるかもしれないが見なかった)
写真を見ると何か入っているように見えるがこれは粟だ。ウィキの写真にも入っていたと思う。
バートルは「米を入れるよ」と行っていたが、これはやはり粟だ。米があまり育たないエリアの人たちは、粟も米というのかもしれない。
バートルは居候のぼくに毎朝これを出してくれた。
器にお茶の粉を袋から入れる。そこにあつあつのお湯を注ぐ。そして最後に粟の入った袋から粟をここにつまんで入れる。
外モンゴルにいるときはお店で出されるまま飲んでいたが、バートルがいたおかげで詳しく知ることができた。
これをモンゴル人は飲み物としてというより、「食べ物」として食している。朝食は「ツァイ」だけで、という感じだ。
ミルクティーにパンを浸して食べるみたいな感覚に近いかもしれない。
遊牧民にとって乳製品は主食だし貴重な栄養源だから、そう考えると食べ物として食しているのもうなずける。そこに粟が入っているからなおさらだ。
粉が市販されていると聞いて、バートルと別れてからは自分で買って毎日のように飲んでいたし、お土産に2パック買って帰った。
まあ、粉になってしまって伝統食っぽくないけども、日本のお茶だって粉になっていると思えば同じことか。
ということで、モンゴルの「ツァイ」飲みたくなってきませんか?
ぼくは飲みたくなってきました。
モンゴル料理店にいけば飲めると思います。確か下北沢にあったと思うんだけど・・・
おしまい