ドイツと日本の過去との向き合い方の違いを考えてみた/国際ホロコースト記念日、あるいは二度目の北京オリンピックに寄せて
ちょっと(随分?)タイミングがずれましたが、
1月27日は、国際ホロコースト記念日でした。
この日の前後、
私が学んでいるNVC(非暴力コミュニケーション)の
オンラインサークルやClubhouseで
はからずもナチスの強制収容所やユダヤ人のことが話題になることが多く、
あとでそういう日だと知って、
ちょっと不思議な、厳粛な思いがしたのでした。
そんな流れのなかClubhouseでは、
ドイツの過去との向き合い方についても少し話題になりました。
ドイツと日本の、過去との向き合い方の違い。
ご専門の方々にとっては語り尽くされた話題なのかもしれません。
一般的に語られているのは、
「ドイツが歴史認識として持っているのは、ホロコースト等々を引き起こしたのはあくまでもナチスの『第三帝国』であり、現在のドイツ連邦共和国とは別の国であるということ。ナチスを批判し続けることにより、現政府はナチスから『距離』をとりつづけ、自分たちは批判される存在ではない、と証明し続ける必要がある」
というような考察でしょうか。
門外漢の私が考える、あのころのドイツがたどった歴史…。
どんな国の、どんな悲劇にも、
戦争に勝っても負けても、
それぞれに痛みがある。
ドイツとて、例外ではない。
戦後の40年にわたる国家分断とその後の再統一という経験は、国として、そこで暮らす人々にとって、どれだけの痛みをともなう体験だったのかと…、圧倒される思いがします。
戦後、4つに分割統治され、その後なしくずしに2つの国に分かれ、
東西ドイツともに対立の最前線に位置し、
東ドイツにはソ連軍が、
西ドイツにはNATO軍(うち半数は米軍)が駐留していた時代。
ヨーロッパではほとんどの国に兵役があった時代。
ベルリンが壁によって東西に分断されていた時代。
東西冷戦ということばが生きていた時代。
このような状況下、
戦後ドイツはずっと危機意識を持ち続けざるを得なかったのではないでしょうか?
だからこそ、
過去の反省が促された、という側面は見逃せないのではないか、
と、想像するのです。
一方、我らが美しき国日本。
日本も、
戦前戦後で国名も憲法も違うし、
政治制度も変わったし、民法も、教育制度も変わったし、
6年以上の被占領期間もあったし、
天皇は主権を持つ神から象徴になったし、
その後もしばらく沖縄は占領されたままだったし、
千島列島はソ連領になった…
分断こそまぬがれたものの、かなりの変化を経験した…はずなのに?
それは国にとっても、そこに暮らす人々にとっても、
大きな傷みであっただろう…はずなのに?
「敗戦」を「終戦」としばしば言い換えて済ませてしまうような
残念な歴史認識。
負けたことすら認めるのが難しければ、
自分たちの加害性をみつめるなんて、到底無理だよね…
と、自分の国のことながら、
なんと言ったらいいのか、
この国の「感度」の鈍さを嘆きます…。
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昔むかし、ベルリンの壁が崩れる直前、1989年のこと。
たまたまベルリンの公園で目撃した軍事パレード(注*)は、
アメリカ、フランス、イギリスの国旗をはためかせた、
それぞれの国軍の行進だった。
彼の地では、戦争はぜんぜん「終わって」なんかいなかった。
8月15日を、
「終戦」記念日と呼ぶわたしたちとの意識のギャップよ…!!!
そのベルリンで、たまたま出会った男の子はこう言った。
「日本もドイツも戦争に負けて、外から民主主義をもらった国だから。
いつの間にか戻ってしまうかも知れないから、気をつけないとね!」
たった10分くらい、道案内をしてくれる道すがらのことだった。
そんな話、日本でだれがしてくれたことがあったろう?!
1988年、アメリカ留学時代のこと。
日本では昭和天皇が病に倒れていた。
たまたま香港(当時はまだ英領)からの留学生と一緒に
映画『ラストエンペラー』を見た。
映画が終わったあと、なんの気なく天皇の病状の話をすると、
その子いわく、
「戦争に負けたのに、日本にはまだエンペラーがいるの?」と。
わたしの「あたりまえ」が、ひとつ壊れた瞬間。
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国際ホロコースト記念日に寄せて、
もうすこし、話を続けたい。
ホロコーストという本当に悲劇的な過去の事実に、
ユダヤ民族の悲劇をそれとしてきちんと受け止めて、
そのうえで、
ホロコーストの対象は、
あらゆるマイノリティ、
ロマやLGBTQや身体的精神的不具者、等々に及んでいたこと、
さらには、逆にイスラエル建国〜拡大のために、
数え切れないほどの逆にパレスチナの人々が犠牲になっていること、
また、
そのような惨劇は、残念ながらホロコーストだけでなく、
世界中で、昔も今も行われているけれど、
経済力がなかったり、政治的に利用価値がなかったりする多くのものは、
ただ世界から無視されつづけているということ…
ちょうど二度目の北京オリンピックが行われている今、
2008年のオリンピック開催の要件として挙げられ、そして反古にされた
「人権問題の改善」について、
今、チベットやウイグルで、状況は改善されているどころか
ますます悪化しているということ…
香港の一国二制度がすっかり踏みにじられてしまってたこと…
そして、前回ほど、それを問題視する声が
あがっていないということ…
そんなことにも、心を寄せ、また嘆きたいと思うのです…。
追記:
ご参考までに、Clubhouse「NVCで自分とつながる朝時間(^-^)」1月28日の録音はこちら。ゆる〜い会ですが、NVCの精神(非暴力の精神…ガンジーのインド独立運動の根底に流れていたアヒンサーと言ったらわかりやすいかしら…?!)を感じていただけると嬉しいです。↓
注*:
ベルリンの軍事パレードについては単に旅行中に遭遇しただけで詳細不明だったので、検索したところ、なんともクラシカルなサイトに行き当たりました♡。
そこによると、「1953年6月17日、東ドイツで起こった市民運動をソ連軍が武力制止したことによって、たくさんの犠牲者を生み出し、それに抗議して、この通りが「6月17日通り」と改名されるようになりました。
まだ壁のあった時代、この日は祝日とされ、毎年この通りでは、西ベルリンの占領軍による軍事パレードが行なわれていました。」とのことです。
↓からどうぞ〜。