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「好」の解釈の難しさ

たかが「好」。されど「好」。中国語を学んだことがある人、日中・中日の翻訳を生業にしている人ならば一度はそう思ったことがあるのではないでしょうか。

というわけで今回はこの「好」の落とし穴について少し語ろうと思います。ご興味のある方はしばしおつきあいください。

先ごろ、自民党の森山裕幹事長、公明党の西田実仁幹事長らが中国を訪問し、王毅外交部長や李強総理らと会見しました。

この報道の内容自体はもうみなさんご存じかもしれないので割愛しますが、自公幹事長が訪中に関する中国側の報道記事の中で面白いフレーズがあったのでシェアしたいと思います。

李強総理は15日に自公幹事長と会見したのですが、その席上次のような言葉を口にしました。

中日是搬不走的邻居,既然搬不走,就要好好做邻居,做好邻居

李强会见日本执政党代表团

このフレーズ。皆さんならどう訳しますか。

前半部分の「中日は引っ越しできない隣人であり、引っ越しできない以上~」までは正しく訳せる人が多いのではと思います(文法的に語れる箇所はありますが、今回のテーマではないので割愛)。

今回問題にしたいのは後半部分です。「好」が3つも並んでいますが、どう処理するかという問題。

その前に「做」をどう翻訳で処理するかを考える必要があります。

「做」は普段、「行う」「やる」という意味だという固定観念を持っている人が多いと私は推察します。しかし、目的語に「邻居(隣人)」という語句が来ているわけですから、「隣人を行う」では意味が通らない。「なら、辞書を引こう」という思考回路になれば、翻訳者として第1関門クリアだと言えます。

そこで辞書を引いてみると、「做」には「行う」「やる」以外にもいくつかあるのが分かるでしょう。「隣人」という目的語に最も適した訳の候補として考えると、「担当する」「務める」「なる」のどれかがいいのではという考えがつくと思います。

となると後半部分の前段の文節である「好好做邻居」は「しっかりと隣人になる」が日本語らしくていいじゃん・・・とやってしまいそうですが、ここに一つ落とし穴があります。

「になる」は、「Aじゃなかったけど」→「Aになる」という、中国語でいう「成为」に相当するニュアンスが含まれています。

一方で最初の「做」は、「もともとAだけど」「引き続きAをやる」というニュアンスなんですよね。ですからやはりここは「務める」ぐらいが一番適役なのではと私は考えました。

なお、「隣人を務める」という言葉に違和感を感じるならば「隣人(の役目)を務める」とカッコつきで補ってもいいと私は思っています。

◇◇

そして、後半部分の後段の文節です。「做好邻居」をどう訳すか。

ここが、多くの人が引っかかる問題だと私は考えます。なぜわざわざ「好好做邻居」と言っておいて、また「做好邻居」と同じニュアンスの文節を重ねるのか。そもそも「しっかりと隣人を務め、隣人をしっかり務めなければならない」って変ですよね。

しかし実は、こういう思考回路でこの文に向き合うと、この文のワナに陥ったことになってしまいます。なぜなら、自分の頭の中で知らぬ間にこの文節を「做好/邻居」と分けてしまっているからです。

ここの「做好」は前段の「好好做」とあえて表現を分けている以上、「『しっかりと行う』という意味ではないのでは?」「『しっかり』『しっかり』と二重の表現をすることはありえないよね?」という、根本的な疑問にまず気付き、「そもそも『做好』とはどういう意味・用法なのか」という探究心を持つ必要があります。

「做好」のように、「好」が結果補語として動詞の直後についた場合は、「物事の動作が完了したこと」「物事の状態が満足できる状態になったこと」を指します。

例文:我已做好准备=既に準備完了です

つまり、「その状態に達したこと」を表すわけです。

李強総理の発言は、「日本と中国が引っ越しできない(永遠の)隣人である」という文脈の中で出てきた言葉であるにもかかわらず、「做好邻居」が「隣人を務め上げる」という意味になるのはかなり無理がある。

だからこそ・・私はこれを見た瞬間、「あれ、根本的に違うんじゃね」という頭脳センサーが働きました。

そう、「做/好邻居」で分かれるのではということです。これでしっくりした訳を構築することができました。

中日は引っ越しできない隣人であり、引っ越しできない以上、しっかりと隣人(の役目)を務め、良き隣人にならなければならない。

これだと前段の「好好做」と、後段の「做(好)」の区別がしっかり付けられますよね。

◇◇

いかがでしたでしょうか。察しのいい方はここで気づいたかもしれません。

辞書を引くと、各語句には複数の意味が存在します。ですからただ漫然と翻訳をしてもいい訳は出てきません。つねにいろいろな訳をあてはめて見て、「日本語として通りのいい」ものを選択するという作業が大事なのです。つまり、、翻訳には「逆算」の考えが必要だということです。

今後ともこのような例文を探してきて解説していきたいと思います。


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