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2025/01/10 18:50 【映画】Cloud

「執着のなさ」が生んだ破滅

一般的に破滅する人間は、何かに執着しすぎた人間だと思う。でも吉井は逆だった。吉井はどんな対象にも執着がなかった、できなかった。転売の商品はもちろん、友人や先輩。仕事。恋人。自宅。作中で悪意として帰ってきたのは、先輩や上司だったが、人間に対して「執着がない」というのは、もしかしたら相手に「適当」や「恩知らず」という感情を与えてしまうのかもしれない。俺が執着できる人って誰なんだろうか。

お金の呪縛からは逃れられない

資本主義の中で生きていくことは、お金のことを考え続けることだ。資本を持とうが持たまいが、悩みの、不安の、ベクトルが異なるだけで、結局は皆同じだった。自分の家が荒らされても、何者かに命を狙われても、”JK刀”が何より大事だった吉井は、現代人を風刺していた。

無自覚に振り撒かれる悪意。ババ抜きのような

「転売」という安易で利己的な行為。でも多くの人間が一度は考えたことがあると思う。人気の高そうな、人が群がりそうな商品をいち早く手に入れ、金額を釣り上げてまた、インターネットという海に流す。自分が「売り手」をしている瞬間は目先のお金にしか意識が向かないが、その瞬間全世界に悪意を振り撒くことになる。無自覚な苛立ちの総量は、きっと多い。

散弾銃をかまえる荒川良々

深夜に自宅まで押しかけてくる荒川良々。散弾銃の銃口を向けてくる荒川良々。そして、容赦無く発砲してくる荒川良々。彼の演技力は言わずもがなだが、それ以上にビジュアルと役どころがマッチしていた。というか荒川良々の”坊主”がより存在を猟奇的に感じさせた。そもそも”成人男性の坊主姿”というアイコンには「暴力性」とか「猟奇性」を感じずにはいられない。「ヤクザ」や「刑務所」、「軍隊」など”暴力”に近そうな存在と”坊主”が脳内で結びついているんだろうな。陽炎が揺らぐ球場で、白球を追いかける青年が坊主だと、感動は3割増しなのに。

善行も悪行も

真面目に工場で働いていても、転売ヤーをしている地元の先輩とつるんでいても、向けられた悪意の先は同じだった。自分の行動や発言、その一挙手一投足が、相手にはどんな感情を抱かせるかを考え出すと、枚挙にいとまがない。人間は、自分の持つものさしでしか善悪を図れないし、はたまたその自分ですら、くっきりと線付けられているかどうかは怪しい。どんなに親しくとも、「相手にどのような感情を抱かせるのか」を考える意味はない。ただ相手に暴力性がないことを祈るだけだ。

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