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「だんじりよ、永遠に」(三)


だんじりの板を彫る前田氏(前田氏提供)


不易流行




誰のための祭りか


「伝統工芸の技術を残す」という使命のため、工房を法人化した前田氏。

だんじり祭りを、だんじりを取り巻く技術を、後の世代に伝えていきたい。
その一心だった。
「赤字でも税金と従業員の保険料を払わなあかん。」
「給料も払わなあかん。」
そう言いながら額に汗して行政や企業に業界の現状を語り、ネットショップを開設して販路を拡大し、SNSに作品を投稿。
ある日は木彫り教室を開き、ある時は大阪・新今宮のOMO7大阪ホテルby星野リゾートで観光客向けに講演。木彫りの教室も開いてみた。

知ってもらわない限りは憧れも生まれなければ選択肢にすらならない。自らも楽しみながら裾野を広げることに注力してきた。一方で、祭りは厳しい状況に置かれていた。


曳き手不足で町同士融通しながらの運営を強いられている。見物客もコロナ禍を受けて減っている。
泉州のだんじり祭り、なかでも全国区になっている岸和田市では、統計をとっている岸和田・春木地区の見物客が2006年は60万人近くいたものの、コロナ禍による中止が明けて去年は26万人近くまでになった。(出典は以下記載)
こうなると、今年(2024年)の動向が気になる。

前田氏に話を戻す。

工房を大阪市内に移し、法人化した頃、新型コロナウイルスが猛威をふるっていた。人々は外出を控え、あちこちで祭りは中止になった。だんじり祭りもまた、例外ではなかった。

運行の方法や祭りでの役割などを話し合う「寄合」をはじめ、準備の負担や出費はなくなった。和歌山大学紀州経済史文化史研究所所属の吉村旭輝(てるき)准教授は、「現在も地元企業からの各町や連合への寄付『御花』がだんじりの運営資金の中心になっている」と教えてくれた。祭りの中止で夫婦で過ごす時間も増え、夫婦仲が良くなったともいう。

何のために祭りをするのだろうか。
コロナ禍はそんな問いを私たちに残したように思う。

神のためか、楽しみのためか。

ともかく、祭りの衰退は伝統工芸産業の衰退でもある。前田氏は「自分が率先して変わる姿を見せて、なんとか業界全体を底上げしていきたい」と考えてきた。
しかし、コロナ禍は伝統工芸産業の衰退を前田氏の想像を上回る速さで進めてしまった。そのことへの焦燥感を、前田氏は隠さない。

「伝統工芸で残ってるところは、とんがったやつが色んなところに売り込んだところや。これまでとおんなじことやってても残られへん。変わらな。」

晴れ舞台として、活力としての祭り


だんじり祭り自体も前田氏が子供のころからは変化しているという。

前田氏が子供のころは、ぼろぼろになっただんじりを町内で曳き、追い合いと言って前後で追いかけ合うものだったという。それも曳けるだけの人数が集まった時の話だった。

五穀豊穣を祈り神への感謝を伝えるための祭り。今と比べたら娯楽の少ない時代だったからか、それでも楽しかったと語る。しかし、いつの間にか激しく曳き回すようになっていった。

前述の吉村准教授によると、それは道路が舗装されてからとのことだった。激しく曳き回すことで建造物の物損事故が起きたりけが人が出たりする。
最悪の場合は人が死ぬ。
それがニュースや情報番組で取り上げられることで、だんじり祭りや地域の印象を悪くしているのではないか。

今の時代における祭りの役割とは何なのか。
自問自答を繰り返すなかで、より深く考えさせられる事があった。

今年(2024年)の7月27日、和歌山県紀の川市の粉河祭の宵宮(よいみや)を訪れた時だった。どこから湧いてきたのかと思うほどの人が沿道に溢れていた。

紀州三大祭りにも数えられる粉河祭。
勇壮さを誇る岸和田のだんじりとは一風変わって緞帳(どんちょう)や竹ひごなどで飾り付けられただんじりには優美さを感じた。

少し写真で紹介したい。

粉河祭のだんじり・竹ひごや緞帳が印象的(横矢撮影)


宵宮・曳くばかりと思っていただんじりを押すというのだから驚いた(横矢撮影)

子供を乗せて走ることもあって、だんじりの周りには子供連れが集まる。
この中に将来の曳き手がいるのかもしれないとそれを眺めながら思った。

だんじりと一口に言っても、その多様さは計り知れない。しかし、どこであっても変わらない風景もある。

地域の踊りを楽しそうに踊るお年寄りの輪に加わる子供連れや若者たち。
見ず知らずの人でも手を引かれて踊り騒ぎするうちに生まれる一体感。
提灯を下げて夜の闇に浮かぶだんじりの粋な姿。

大学時代に受けた講義の中で、祭りの激しさは生きる活力であり怒りや不満の発露でもあったと聞いたことがある。また、数多の災害に襲われてきたこの日本列島では、祭りが人々の心を、復興を支えてきた。

その祭りを支えてきたのは海に揉まれ土にまみれながら地域経済を支えてきた者たちだった。祭り法被を日々の労働で鍛え上げた肉体に纏った彼らの姿に惚れない者はいないだろう。そして、艶やかな着物姿の女性らが踊りの輪を作り、巻き込んでゆく。

泉州のだんじり祭りは岸和田ほど知られていないが、華やかで力強い。それぞれの地域が持つ風景が各町の祭りを盛り立てる。どんな風景を生み出してくれるのか楽しみだ。

祭りとは圧倒的な人間賛歌でもある。

何を変えて何を残すのか。今の時代における祭りの役割とは何なのか。

時代が変わり、祭りの形が変わり。しかし、それでもなお、人々に力を与えてきたことは変わらない。

地域に活力のない今こそ、この祭りの持つ力を借りることはできないか。

前田氏の考える今後の祭りとは


潮流の変化に合わせて舵取りを進めてきた前田氏は今後、ベトナムやアメリカなどに実際の店舗を置いて自らの作りたい作品を作りつつ、だんじりに必要な注文の一切を引き受けることをしていきたいという。それを前田氏は「祭りの代理店」と表現する。

そこにはもう一つの危機感があった。祭りの衰退は伝統工芸産業の衰退である。そしてそれは、工芸を支える道具職人の危機でもあるということだ。

「今、祭りの時の提灯を作る人もおらんなってるねん。」

祭りの時期、道沿いには提灯をぶら下げた献灯台が立つ。提灯には運営資金を寄付した地元の商店や企業などの名前が書かれている。

しかし、最近では提灯の製造企業や提灯に企業名などを書く人も減ってきている。少ない業者に短期間に注文が殺到する。そうしたことを避けるためにも「前田に言うといたら祭りできるわ」という環境を作りたい。

また、続けて言う。
「昔はメダテ職人いうのもおってな。」

漢字で書くと、「目立て」と書くらしい。のこぎりの刃を立て、なまってしまった切れ味を良くする職人のことだ。のこぎり自体を使う人も少なくなった今、そうした職人も減り、のこぎりも使い捨てになってしまった。

「実は彫刻に使ってる彫刻鑿(ちょうこくのみ)はもっと深刻やねん。」
「今作ってくれてる人がおらんなったら、なくなる。」

百均でも彫刻刀を変える時代だが、それでは仕事はできない。
もしホームセンターで買ったとしても、なまったら捨ててまた買っての繰り返しになるとも言う。

この会話をきっかけに彫刻鑿を作っているという職人と引き合わせてくれることが決まった。


引用元
岸和田だんじり祭9月祭礼(岸和田地区・春木地区)観客数の推移
https://data.bodik.jp/dataset/272027_sairei_kankyaku_suii


#大阪 #だんじり #シードアシスト独自取材 #お祭りレポート


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