自己肯定感
わたしは自己肯定感がとにかく低い。低かった。今も高くはない。
なぜかって、割と理想が高いから(笑)
かつては自己肯定感が低すぎて
人間関係にも支障をきたしていたくらい、
容姿に対するコンプレックスが強いタイプ。
故に、容姿を磨く努力をするのが
好きだったし、撮れ高の良い
自分の写真と共にブログを更新するのが
自分なりのアイデンティティを
確立する術だったみたい。
ブログは10年以上昔の話しね。
ただ、自信がない人程、
実は自撮りをして人に晒す傾向は
わたしのように強いと思う。
スピリチュアル的な見方をすれば、
容姿についてあれこれ悩んで
badになるのは
「真理や本質を何もわかってない人」
だそうです。
太ってても目が小さくても
「これがわたし!わたしで最高!」
そんなふうに思える人が1番強い。
運も良いし人からも応援されやすい。
承認欲求を満たすために容姿を磨いて、
人前に晒してチヤホヤされるのは
魂の学びにはならない。
物質的なものを追い求めても、
後になれば必ず
「それよりもっと重要なことがあった」
と思う日が来るからだそう。
わたしは、この教えはその通りだと思いつつも、
簡単にそうはなれないよ…と思う自分もいた。
出来る人は最初から、容姿に囚われず
ありのままの自分に対して
自己肯定感を上げる事はできてるのだ。
けど、出来ない人は無理して「どんな自分も最高と思え」と言われても簡単にはいかない。
しっかり浄化して、祈って、
善行利他の心の状態になるまで
中々そうはなれない。
なったとしても、浮き沈みするのね
潜在意識からそう思えるようになるには
霊能力開花をするための修行をする
頻度で浄化や祈りや瞑想が必要になってくる。
最近は「たとえ間違ってても、遠回りに
なったとしても、無駄足だとしても
自己肯定感を確実に持てる方法を
選んで行った方が良い人もいるかも」
と思うこともある。
スピリチュアル的な見方だけすれば、
容姿とか学歴とか生い立ちなどといった物事からくる自己肯定感の低さを、
物質的な要素で満たすのは
「お前何もわかっとらんぜよ」
って言われてしまうのは
何を隠そう自分が散々言われ続けているので
よくわかってる、
でもみんな同じように簡単に
真理だけ求めて行けるほど
均一に魂は成長してない。
後で後悔するにしても、全部必要な
学びだったと思えれば、無理やり
「ブスな自分でも良い!」
とか
「ハゲ万歳!」
みたいに思い込もうとするより、
そっちの方が100倍、
いまこの瞬間、楽。
…なんじゃないかな。
スピリチュアルと万人のダメダメな
自分の意識の対立のお話しな今夜😅
たこやきちゃんは、
自己肯定感について最近、
そんなふうにおもっていることもある。
物質に価値を置くのはナンセンスでも
物質を利用して成長するのはありなんだし
バランスさえきちんと取れれば
衣類や身嗜み、表情や所作などから
セルフイメージを上げたって良いじゃんね。
と、スピじゃない普通のわたしは思うのだ。