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アマプラ映画感想メモ#21『丹下左膳余話 百万両の壺』

古い邦画を観てみよう、アマプラ映画21日目。

致命的なネタバレは避けるべく努力するが、あらすじや表現、全体の構成についてなどは触れようと思うので、一切情報を入れずに映画を観たい方はお気をつけて。


今回観た映画はこちら。

『丹下左膳余話 百万両の壺』

〇観ようと思ったきっかけ

古い邦画を紹介するサイトを観ていたら、アマプラに入ってる名作として紹介されていたため。

〇概要

1935年の日本映画。監督は山中貞雄(当時25歳前後)。
『丹下左膳』シリーズは林不忘による新聞小説を端に発するが、今作では原作と雰囲気を異にしている(らしい)。

〇あらすじ

江戸柳生道場の当主の座につきながらもうだつの上がらない日々を過ごしていた柳生家次男坊源三郎は、家にある猿こけの壺に百万両(現在の貨幣価値で数百億円相当)の埋蔵金の在処が記された地図が塗りこめられていたことを知る。しかし、壺は既に彼の妻が売りに出してしまい、見知らぬ子供の金魚鉢となっていた。

〇ノート

お宝争奪戦。
今となっては手垢が付き過ぎて逆に見かけない物語動機だが、この映画ではその発展のさせ方が後世とは全然違う方向を向いている。
『百万両の壺』には、『大金を手に入れるため人殺しを辞さない悪党』も、『主人公たちが大金をどうしても手に入れなければならない動機』も出てこない。
壺が転々とする様で観客をヤキモキさせつつも、展開されるのは程々に気の抜けた『変に良い話にならない程度の、それでいて切実な人間ドラマ』で、その脱力感とユーモアに、最後の最後まで翻弄されてしまった。
また、シーンのカットがとても上手い気がした。尋問やら決闘やら、普通描かれるだろうシーンが大胆にカットされていて、しかもそれが話として成立するどころか緊張や想像などの心理効果を生んでいて、観ていてビックリしてしまった。

特に好きだったのは賭場のシーン。
良いシーンの後に何の解決にもならない博奕をやり始めるしょうもなさが、逆に前後のシーンの良さを引き立てている気がした。

終始観客の心をユーモアで弄んでいるような感じがあり、後味のスッキリした映画だった。

〇感想

20代半ばでこの映画を撮った山中貞雄監督は、流石に天才だと思う。
調べてみると、山中監督は28歳で戦病死しているらしく、これが現存する最古の作品であるらしい。
年が近いこともあり、色々複雑な思いがする。
それはそれとして、山中監督のウィキペディアに書かれている逸話が結構面白くて読み入ってしまった。
「ちょんぎれ」が口癖で、役者の気に入らない演技に対してカットするぞと焚き付けたりしていたらしい。上に書いたようなカットの上手さは、こういう性分からも来ていたのかもしれない。

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