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アマプラ映画感想メモ#27『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』

『エ』じゃなくて『ヱ』なことに今さら気づいたアマプラ映画27日目。
致命的なネタバレは避けるべく努力するが、あらすじや表現、全体の構成についてなどは触れようと思うので、一切情報を入れずに映画を観たい方はお気をつけて。


今回観た映画はこちら。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』

〇観ようと思ったきっかけ

『破』を観たため。

〇概要

2012年に公開された『破』の続き。シン劇場版に続く

〇あらすじ

使途との戦いを経て眠りに就いたシンジが目を覚ますと、14年の時が経過していた。困惑するシンジだったが、綾波レイによく似た少女によって身柄は奪取され、荒廃したNERV本部へと降り立つ。

〇ノート

今まで積み上げてきた勢いはそのままに、綱渡りが始まった。
これまで作品のテンポを回してきた『わかんない用語だらけの会議』がシンジ君と観客に対して牙を剥き始めた。
今までは観客にも分かるように作られていたのに、今回は知らない人間たちの知らない理屈で話が進む疎外感がより強調して描かれている。
出来事の理屈や会話の『分からなさ』が(恐らく)意図的に高く設定されていて、シンジくんの『幼さ』、様々な思惑で構成された複雑な世界を理解できない状況を我々も追体験させられている。
ただ、分かりにくいだけではなかった。シンジ君の感じる不安や安心感、悲しみや絶望など、感情のラインはキチンと伝わるように必要な情報が組み上げられていて、まるで冒頭に出て来る宇宙船のようなデリケートな精巧さを感じた。
また、今までのようにシンジ君が内面的問題を乗り越えきれていないまま展開が進んでしまったことも、上述した心もとなさを加速させている。
シン劇場版でこの綱渡りをどう着地させるのか、今から観に行くのが楽しみだ。

〇感想

Qの後で九年待ったファンのもどかしさを思うと、すぐにシン劇場版を観に行ける我が身は幸せなのかそうではないのか。
とりあえず、余計な情報はなるべく入れずに楽しんで来ようと思う。

あと、今作を観終わった後に『破』の次回予告を観直したら、ゲンドウたちの登山姿で大爆笑してしまった。

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