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今日のNoteは諸般の事情によりお休みします。

おはようございます。

#KENMAYA です。

今日は「自己言及のパラドックス」についてお話します。
タイトルにもある通り、「休む」って「書いてるじゃないか」という矛盾です。つまり今、あなたが目にしてるこのNoteは「虚構」です。

しかし、「自己言及のパラドックス」については、詳しく解説等はしません。このNoteは「虚構」であるからです。


1.わたしはウソつきです。


ウソじゃなくてウツなんですけどね。


ウソは目の前の真実をごまかす、あるいは、他者をだまし、
自分の利にするために人はウソをつきます。

ウソは自己実現のひとつの形であり、
「嘘も方便」という諺にもある通り、
ウソが常に悪であるとは限りません。


ウソつきは常日頃ウソで自分を着飾っています。

そのため「ウソ」のための「ウソ」をつき続けることになり、
「虚構」と「真実」の境目が自分でも分からなくなります。

哀れに感じますか?

それとも共感しますか?


2.わたしはウソつきです。


わたしはウソが苦手です。

ウソをつくとすぐバレてしまうからです。

なぜ、すぐバレるウソをつくの?と子どもの頃よく先生や親に叱られました。

すぐバレるウソとは、自分の失態を隠蔽するためにとっさの思いつきでつくウソなので、論理に綻びが生じていることが多いからです。

それでもなぜウソをつくのをやめないか。

それはウソをつくのが楽しいからに他なりません。
ウソでターゲットを騙し、まんまと術中にハマったターゲットを見るのはとても楽しいからです。

ウソをつき続けることで、ウソの技術力が向上します。
よりテクニカルかつ効率的なウソを構築できるようになり、
相手を説き伏せることのできる論理武装をしたウソつきになれます。


3.わたしはウソつきです。


わたしはウソつきが嫌いです。

他人に騙されるのが死ぬほど嫌いです。

しかし、いまだかつて騙された!と思ったことはありません。
そして、恐らくわたしを騙そうと近寄ってきたウソつきも、
わたしを騙すのは難しいと思いそれ以上近寄ってこないのです。

これは自慢でもマウンティングでもなく、

単純にわたし自身がウソつきであるから、相手のウソを見抜く力が備わっているのだと思います。
ウソをつき続けることによって会得した会話術では、何重にも相手にウソのトラップを仕掛けます。

ウソつきはウソをついて騙そうとしているので、自分がウソのトラップにかけられてるとは思わず、ぐいぐい乗り込んできます。
しかし、ウソのトラップを幾重にも張ってるので、そのトラップにかかっている状態を的確に相手の論理破綻として指摘してあげる、と不思議とあっさりと意気消沈して消えてしまいます。


4.わたしはウソつきです。


わたしはウソつきです。

ですので、こんな文章を書けるのです。

そもそもこの記事が「虚構」であるからして、
ウソがウソとして成立はしていません。

世の中のほとんどはウソで構成されています。

あなたが真実だと思っていることは、
他人にとってはウソだと思っていることもあります。


真実を探求することも大切ですが、
ウソをウソと分かった上で、楽しむのもウソつきならではの生き方、
人生の楽しみ方でもあるのです。

あなたもウソ活はじめてみませんか?


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

途中寝落ちしました【言い訳】

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