やったもん勝ち
この世は不平等である。
いじめられた子は自殺させられるし
人は2人以上までなら死刑にならない
すれ違いざまに人を傷つけても少額のお金で済むし
虐待され放置されても親を訴える力と金銭力が手に入ったタイミングで訴えることができなくなる
平等とは何か?
いや、別に政治とか哲学とか思想とかそういう難しいことは言ってないんだ、シンプルに、考えてみたら「良いことより悪いことをやったほうが、やったもん勝ちじゃね?」と気付いてしまった。
清く正しく美しく
これは誰の言葉だったろうか。
私の周りにいるのは
「殴りたいから殴る」
「思いついたから言葉にする」
「払いたくないから養育費を払わない」
「コロナだけど集まりたいから仲間で呑む」などなど…おおよそ大人がっていうか人として言ったりやったりしたらダメなことを平気でやり、自慢する人間が多すぎて、どれが正しいのかすらわからなくなる。
「常識を疑え」ではないが、自分の常識を疑わないとうっかり人を傷つけてしまうのではと毎回ドキドキしながら人と会話している。
コミュ障誕生の瞬間である。
そして「やったもの勝ち」「言ったもん勝ち」「逃げ切ったもん勝ち」という正しく生きてる方が馬鹿を見ることでこの世は成り立っている。
この人たちにとって他人が生きようが、死のうが、本人たちが傷ついて、悲しい気持ちにさえならなければいいのだ。
自分を中心に世界が周り
世界の中心で自己を叫ぶ
やってもやらなくても結果が同じならやったほうがいい。
だから私は文字を書くことに決めた。
世界を変えたいとか世論を動かしたいとか、大それたことがしたいわけじゃない。
そんなことより私に支払われるべきだった養育費を半分でもいいから取り戻したい。
どこへ行っても、どんな弁護士に会っても門前払いで相手にされなくて、どんどん精神的に追い詰められ、ついには発狂した。
「逃げた奴が得をする!なんて世界だ!!」
だから、もう別にいいなと思った。
家の恥だとか、親への思いとか、兄弟への気遣いだとか、どうでもいいんだ。
やらなきゃ、やられる。
逃げられたらそこで試合終了。
クズが生きてる間に取り返せるもんを取り返したい、逃げ切って畳の上で死ぬことは許さない。
畳だって無料じゃない。
クズが死ぬ為の畳代すら取り上げる所存。
一狩りいこうぜ!
尻の毛まで毟り取る。
闇金と同じようなことをしないと自分の正義が貫けない悲しい現実。
やったもん勝ちなら、尚更やらなきゃ意味がない。
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