時効ってなんであるの?
不貞を働きすぎたクズの祖である父と当時の不倫相手の弁護士を訴えたいというのは今でも変わららない思いだ。
しかし、日本には不思議な決まり事がある。
「時効」
これになんの意味があるのか分からない。
人を殺しても、盗みをしても、養育費不払いでもとにかく「逃げたものが勝つ」世の中である。
時効程、加害者に寄り添った法律はない。
時間薬?そんなもの洋薬、漢方と同じくらい「効く人」と「効かない人」がいる。
残念ながら私は効かない人だった。
納得できない!納得できる説明をください!面倒くさい新社会人みたいになる。
どこの弁護士に聞いても「気持ちはわかります、でも時効があるんです。」だった。
時効って誰得なの?
得するのは不正を働いた人間だけじゃないか。
不貞を働く父親
不倫を普通にできる弁護士
現実から逃げて女になりたかった母親
フラストレーションの捌け口に虐待を繰り返す兄
こいつら全員が今も、何1つノーダメージで生きている事が不愉快で仕方なかった。
天罰を待ってても、法律も待ってても何も変わらない。
「お天道様が見てる」っていうけど、見てるからといって罰が下るかといったら、それはない。
どうせ下るなら私の見てる前で下してほしい。
生きてることが罰みたいだな、と思いながら私は生きてきた。
学校では教師から、家では家族から虐げられてきた。そして、自分が何で生きてるのかわからなくなり、立っていられなくなった。
私が立っていられないほど傷ついている時に兄は実家暮らしで旅行三昧、父親は変わらずに祖母の金で海外渡航や贅沢の限りを尽くしていた。
支えてくれたのは友人たちの存在で、そのおかげで「もう少し生きてみよう」と思えたのだ。
引きこもるような生活の中で外に連れ出してくれて、段々とライブに行けて、遠征に行けて、美味しいものを食べられて、仕事も順調になり、段々と充実していった。
幸福に満たされていくにつれて、私の足を引っ張るもの、それが「家族」だ。
生活のほんの一瞬にフラッシュバックと共に爆発しそうな怒りと憎しみが湧き立ってくる。
「私が幸せ」でいることが最大の復讐だと思うのに「理不尽」と「不公平」が暗い影となって私の心を蝕んでいた。
いつも、それをどうにか飲み込み蓋をした。
そして鍵をかけて見ないように必死に生きているのに、何気ないことで思い出される。
私は自分で生活をやりくりして、お金を貯めて「人並みの幸せ」を手に入れているのに、兄や元父親はいつまでも実家に寄生して、究極の脛齧りとして骨の髄まで吸い取っている。
奨学金を返しながら、返済が終わったら終の住処である家を買う資金を貯めようと必死に働いてる横で弟は母から戸建ての頭金に1000万円出してもらい、家を購入していた。
いつか、自分の行ったことがない国に行きたいと沢山努力をした、貯金もできるだけ意識をするように生活をしていた。
でも「父が」「兄が」「弟が」努力もしないで旅行に行く、そういう風の噂が流れてくると、足元が揺らぐ。
不公平さ、世の中の理不尽さに唾を吐きかけたくなる。
払うべき代償を払わず逃げおおせた奴が、何の不自由もしていないくせに自分たちの生活が「不公平だ」「理不尽だ」と喚く姿を見ると蓋をしたはずの醜く暗い気持ちが顔を覗かせる。
そして、時効の意味を考えた。
法的には時効を迎え無罪放免になったこいつらの行いを誰も知らないのだ。
人を傷つけ、人権を無視したこいつらを法律は赦したのだ。
そう思えて仕方なかった。
「私の何がいけなかったのか」「どこで間違えたのか」全く分からなくてなってしまった。
でも今はまだ生きている。
明日は来る。
あの時死んでいたらと、思うことは未だにある。時効がなかったら、なんて思うこともある。
法律は弱者の味方じゃない。
弱い者を守るために法律があるんじゃない。狡賢い人間の隠れ蓑で、奪う側を守るためにある。
そのひとつが「時効」なのだと思っている。
赦されたと思うのは本人だけで、憎悪を向けられている事には変わりはない。でも、被害者が何もできなくなる。それが「時効」なのだ。
時効の必要性が未だに分からない。
赦し、赦されることで人は生きているのだということはわかる。頭でわかっていても心がついていかない。ついていけない。
心の整理がつないまま「時効」を迎えた私の心をどうやったら救ってあげられるのか、私は未だに分からないでいる。