公正証書というゴミ
私は両親が離婚をする際に交わした公正証書を持っている。
勿論、原本だ。
何に使うのか?
回収できなかった養育費を回収するためだ。
金が必要なのか?
必要だ。
生きるだけなら金は多く持つ必要ない。
ほどほどに生きて、ほどほどに友だちと笑って、ほどほどに好きなものを手に入れる。
普通に生きていくだけなら必要のない金だろう。
だが違う。
必要だというその金は、私が子どもの頃に受けた虐待に対する謝罪の意味として必要な金だ。
問:この公正証書はまだ使えるのか?
答:私が持っていても、効力は発揮されない。
そう、これは私が持っていても何の役にも立たないゴミなのだ。
何故ならこの公正証書は父と母の間で交わされた契約であり、子どもにはこれを行使する権利はないからだ。
子どもの生活を守るために交わされた公正証書なのに、これは一度も役目を果たす事なく、今はただのゴミとなった。
公正証書、お前は仕事をしたのかい?
子どもを守る為、役割を果たしたのかい?
お金を払って弁護士を間に入れて書いてもらったのだから、その価値をみせたのか?
残念ながら、私が成人し、社会人として巣立った今もこのゴミが「仕事をしたぜ!」とドヤった姿を見たことがない。
じゃあなんでこんなゴミをまだ持ってるのか?
それはいつかこの国が優しくなった時に捨てるためだ。
養育費の不払いで子どもが死にたくなる国で亡くなった時だ。
不貞を働いたものが逃げ切ったら勝ちの国で公平といえるのか?
私は法律にも疎い、頭も悪い。
とにかく必死に今を生きるために前へ前へと進む事だけしてきた。
不貞を働いた父は「払うものがない」と養育費の支払いを拒否した。
連帯保証人の父方の父母は年金だから支払いができないと法に守られた。
弁護士は「ない人からは取れない」と諦めた。
母は「疲れたから」と再請求をやめた。
不倫相手の弁護士は今も人権派の弁護士として取材を受け、自分の地位を守り抜いている。
じゃあ、ここに置いていかれた私は一体なんなんだ?
何か悪いことをしたのか?
どんなに考えても、大人の身勝手なやりとりの中で生まれた自分の何がいけなかったのか分からない。
この世は、げにまっこと不可思議で、法律をきちんと守ってちゃんと生きてる人間には「これもまだまだ乗るでしょ?」って背中や頭に鉛を乗せてくる。
横をチラッとみると法律も守らず、規則もルールにも縛られない人間には自由という翼を授けてくれる。
きちんと弁護士を入れて金を払って公正証書を手に入れたのに
ただのゴミである。
公正証書さん、詐欺にも程がありませんか?
法的効力があるかないか、この場合はないよって、ちゃんの説明したのかな。
当時このゴミを作成した役場の方にお聞きしたい。
このゴミをまだ後生大事に捨てられずにいるのは
いつか、養育費の不払いで逃げられない法律ができて、養育費の支払いの時効が消えた時、ちゃんとゴミとした捨ててあげようと思う。
供養というか、お焚き上げというか…なんかそんな感じにしてあげようと思う。
役に立ってないけど。
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