人生の代償
私の母は感情がとてもチグハグな人だ。
本人はそのつもりがないようだが、私の記憶ではいつも怒られているか「余計な事をしないで」と嫌な顔をされる。
引越しの際に棄てる物があり、それを玄関に運ぶのを手伝おうとしたが "怒られるのは嫌だな" と思い「これ、そっちに持っていく?」と聞いただけで「いい!触らないで!」と怒られた。
これが嫌だから一応聞いたのに、聞いただけでお怒りに触れたようだ。
祟り神様だってもう少し心に余裕があるよ。
本人は意識していないようだが、言い方がキツい。
普通に言ってるつもりなのだろうけど、私の受け取り方と向こうの発信したものが食い違うことが多々ある。
それを指摘すると「そんなつもりじゃない!」「だって心配だったから!」と言われる。
精神的なバランスが崩れて起き上がれなくなった時には頼んでもいないのに勝手に通っている病院へと連絡を入れられた。
もう私は20歳をとうに越えた大人で子どもではない。
自分のことはもう自分でどうにかできる年齢だ。
それなのに母の中の私は未だに子どものままで止まっているかのようだ。
「そういうのはやめてほしい」と苦言を呈したことがあったが、それに対しても「なんでダメなことなの?」と逆に責められてしまった。
病院の先生たちだって忙しい、そして本当にまずいと思ったら自分で連絡できる。
救急車だって呼べる。
たかだか2、3日物が食べられなくなっただけだ、水分は取れていた。
そして、その原因はお前たちと家なのだ。
「余計なことするな」と怒鳴るくせに「余計なことはする」
「勝手なことしないで」と言いながらわたしの行動や願いは無視して「勝手なことをする」。
何故だ?何故通じない??
ハッキリとやめてくれ、しないでくれとお願いしているのに、何故かまうんだ。
新手の嫌がらせかと思ってしまう。
食べられないのも、動けないのも
そこまで私を追い詰めたものはなんだ?
家族だ。
逃げても逃げても追いかけてくる「家族の絆」だ
そんのものとっくに棄てているのに。
棄てたのは私だけで、あっちは後生大事に抱き締めているように思う。
いつまでも子どもと離れられない親と、いつまでも親に縋る子ども。
バランスが取れているようでとてもアンバランスで、蜘蛛の糸よりも細く、薄い紙でできた「絆」が私の足元を絡め取る。
放っておいてくれ、自分で生きていく。
そう叫んでも「そんなこと言いながら」「そうは言っても」と家族制を押し付けてくる世の中が私を絞め殺そうとしてくる。
だから躍起になって家族から離れ、1人で立っていようと頑張っていたんだ。
けれど
「誰かに寄りかかっていたり、支えられて立っているのでは駄目なの?」
そんな事、考えもしなかった。
怪我をしたら松葉杖や車椅子が必要だ。
転びそうになったら誰かが支えてくれる。
倒れたら手を差し伸べもらえばいい。
きっと、そうやって何度も転びながら、助けてもらいながら生きていたら「転んでも大丈夫」と思えたのだろう。
でも、私の周囲はそうではなかった。
転べば嘲られ、倒れそうになると後ろから追い討ちをかけて押されて、倒される。
いつのまにか「倒れない」という概念だけが出来上がってしまった。
倒れて、もがいて、あがいて、1人で生きていけないと家族に足元を掬われて手に入れた幸福までも持ち去られてしまう気がしていた。
努力して手に入れた幸福を掠め取られてしまうのではと怯えていた。
でも「家族の絆」から逃げるために他人を傷付けている姿は私を蔑んできた兄弟達そのものだと気付いた。
きっとこの先もチグハグな母の感情に振り回され、何をやっても怒られ、嫌がられるのであれば、今まで通り距離を置き、他人になればいい。
家族としてやり直しはできない。
嘲られ見過ごされた子ども時代の時間は戻らない。
でも、1人じゃなく、誰かと生きるのはこれからも出来る事だ。
1人で死ぬ覚悟はできた、と同時に生きる覚悟もできた。
自分の人生の代償は自分が取る。
残りの人生は家族や一族の目を気にせず、好きに生きるだけ生きて、死ぬだけだ。