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営業マンという仕事:7

建前の世界を正しいとするなら私のジョブホッピングの動機は至って不純であった。

(写真はコロナ禍でガラガラのベネツィア駅前)

「世界を飛び回るビジネスマンになりたい」この中二病丸出しの動機が本音であったしそのような職業が憧れの対象としてメディアやドラマなどで印象付けがされてきた事実は否定できないところがある。

採用側の人達はそのような若者の上昇志向をある意味利用し、刺激して、兵隊を募るのであるが前話のように採用する側、される側というのは騙し合いに近い様相も帯びてくるのである。これは売買活動の買い手、売り手にも言える同様の傾向である。

「営業マンという仕事」というタイトルでこのジョブホッピングの話からするのは私の経歴の紹介もあるが、転職に置いて自分を採用してもらうのは営業として扱う商材を売る行為と似ているからである。

もう1社、内定いだだきながらも辞退させていただいたケースを紹介しよう。

こちらも商社兼メーカーとして事業を行なっている会社であった。商材や材料など輸入し、その加工品を輸出する業務も行っていた。面接時の説明は申し分なく営業採用者にはスキルや昇格に応じて英語実務や海外出張もあり私の心もかなり決まりかけていた。

今までと同様にできる限りの情報収集を行って最終面接ではほぼ内示ととれる言葉をもらっていた。この最終面接では社内の雰囲気を見せてくれるということで、仕事が休みを取れたこともあり午前中に訪問した。

採用担当者が社内の説明をしてくれている中、貴君が入社した場合はここの部署で働く事になると紹介された部屋に通された。そこには当時の私と同世代の若者が4名ほど同じデスクの山で忙しなくPCに向かっていた。

私たちが入室するとその若者4名はほぼ同時に立ち上がり「おはようございます!」と挨拶をしてくれたのだが、その時の印象で私はこの会社は辞退しようと結論づけたのである。

なぜならば、その若者4名全員大きな声で挨拶してくれたが、全員「眼が死んでいた」のである。

当時の私はガテン系で休日が少なく肉体的には辛かったが、仕事で絡む人達はみな明るくストレスに悩むひとは少ない方であったと思う。特にガテン系は根性のある人たちが多く実力体育会系社会なので、言いたいことは罵声を交わしても言い合うのが当たり前など、その世界で生き残っている人達は、ある意味ストレス耐性の高い人達が多かったように思う。

もう一方でそういった人達の幸せや幸福感はその人たちが認知できる世界観の中で完結しているからこそホワイトカラーの人達に比べて不必要な人間関係の悩みが相対的に少なく、精神衛生的に健康的であり、万年続いてきた人類が生き続けるための営みである肉体労働が精神的安定に繋がっているのだと今になって思うところなのである。

そのような世界で10代を生きてきた私にとって彼らの表情は衝撃的であった。どういうメンタルでどのような環境に置かれるとあのような悲壮感漂う表情になるのか?

さらにそれは鏡のように自分ごとに置き換わり、ジョブホッピングをしようとしてガテン系の仕事をしながら無いものねだりのようにも映る転職活動でもがき続けている私も、仕事中はあのような表情をしているのか?色々と考えさせられる出来事なのであった。

さらにその若者4人は明らかに具合が悪そうでも立ち上がり挨拶をしてくれたが、ほかの中堅層と見られる他数名と同じ部屋にいる他の社員は、私をチラッと見ただけで各々の仕事に向かうといった感じであった。

この会社とはここまでで内定は辞退しご縁はなかった。数年後にこの会社の新人教育に対する評価の口コミをネットで調べたところ、かなり辛辣に評価されていたが、これ以上は邪推と詮索を元にした会社批判になってしまうのでこれ以上は書かない。

この会社は現在も順調に経営されている。前述のような悪評も一部の人間の認知から発せられたポジショントークなのであってその会社が良いか悪いかではないし、その会社に現在も所属する数百名の社員の方々にとってはまた違う認知なのである。

しかしながら当時の私はその若者たちの無言の負のオーラを独自解釈して感じ取って内定を辞退したのである。内定を受けてその会社に就職した場合の世界線も見てみたい気もする。

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